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元コンサルタントな歴史家―ドイツから見た日本

大学で近代日独軍事史を研究する伊藤智央のエッセイ。ドイツと日本に関する批判的な評論を中心に海外生活(留学や移住)の実態をお伝えしています。その際には元戦略コンサルタントとしての経験も踏まえてわかり易くお伝えできればと思います。

なぜ慰安婦問題の議論は噛み合わないのか

日本 日本-政治・経済・文化

従軍慰安婦問題の解決について日本と韓国が合意しました。(2015/12/28)

それについてすでに様々な意見が出ていますが、今まで出されてきた同論争の論点を整理することなく今回の合意について考えをまとめることはできないでしょう。

というのは、日本では慰安婦問題をめぐって様々な意見があり、どういう論点がどのような関係になっているのか不透明なままになっています。加えて政治的主張が同じように見えても、その主張にいたる、さまざまな論点における立場が異なっていることもあります。

こうした混沌としている日本での議論を整理することで、何について議論して、何を証明や反証すればよいのかがわかり、建設的な議論を行うことができます。

この論点を解きほぐすというプロセスを経て初めて、日韓共同発表文への自分なりの意見を持つことができるでしょう。

建設的な議論という目的のために論点を整理すると、全体として慰安婦問題は主に三つの論点において世論で論じられています。

この三つの論点に対してどのような立場をとるかによって、日本政府の外交的対応について意見が分かれてきます*。

*下の図でもわかるとおり、政治的立場が同じだとしても、各論点での立場が異なっている場合があり、そのため政治的立場の根拠も異なる場合がある。そのため、ある政治的立場をとったり、それに反論するためには表面に浮かんでくる政治的立場だけを見るのではなく、各論点を見ていく必要がある。

慰安婦問題の論点を整理した見取り図

 

論点①事実認定

強制連行の事実を認めるか否かめぐる議論があります。

強制連行の事実や強制性をめぐって肯定と否定する考えが対立しており、歴史家の出番となります。

 

論点②事実への価値判断

強制連行があったと認めた上で、今度はその責任の有無について論じられています。

責任がないとする考えをとる人は相対化の論理を使っています。

ここでは二つの方法がとられています。

方法① 強制連行の「普通性」

一つ目は他国の類例を挙げることで日本の強制連行の「普通性」を強調するものです。
その例として、韓国自身もベトナム戦争で同じようなことをしていたという主張や橋下による慰安婦擁護論(2013/5)があります。

方法② 強制連行の相対化

二つ目は、韓国は当時日本領であり、国内法に従って強制連行が行われたために違法性はなかったという考えです。

そこでは、日本人も同様に銃後での労働や兵役を行っており、韓国人だけではなく日本人も同様に苦痛を受けたという相対化です。

そのために争点となるのは、相対化することで慰安婦問題への日本の責任は軽減できるものなのか、それとも相対化したところでそれは政治的責任をなんら否定するものではないと考えるのか、それとも相対化できない/すべきではない問題なのかということです。

 

論点③外交戦術として

三つ目の論点は、強制連行の責任を認めた上で生じてくるものです。

それは、1965年の「日韓請求権協定」で慰安婦問題も日韓で合意に至った請求権に含まれるか否かという論点です。

日本政府は「含まれる」、韓国政府は「含まれない」という解釈をとっています。

日韓共同発表文の位置づけ

今回の慰安婦をめぐる合意は、基本的には論点③で「含まれない」と解釈した場合の延長線上にあるものと考えるのが妥当でしょう。

というのも、もし韓国の植民地時代に関する請求権が放棄されていると考えるならば、日本政府は今回基金を設立する政治的必要はないからです。

日本政府は、日韓での合意で放棄された請求権に慰安婦問題も含まれるとする立場を堅持するようですから、その整合性を維持するために、今回の補償と謝罪は、道徳的な責任からの行為として解釈していくものと思われます。

*私は慰安婦問題の専門家ではないので、間違い等ありましたら修正いたします。

**今回は、各論点について私の意見を述べているのではなく、どこに論点があるのかを明確にするための整理という位置づけで書いております。

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