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元コンサルタントな歴史家―ドイツから見た日本

大学で近代日独軍事史を研究する伊藤智央のエッセイ。ドイツと日本に関する批判的な評論を中心に海外生活(留学や移住)の実態をお伝えしています。その際には元戦略コンサルタントとしての経験も踏まえてわかり易くお伝えできればと思います。

見慣れないアフリカ系男性を警察に通報したのは人種差別なのか

ドイツ ドイツ-生活一般

ある日、ベランダから何気なしに道路を見ていると、この住宅街では見慣れないアフリカ系(サハラ以南をここでは指す)の男が二人歩いていました。

しばらく目的もなく眺めていると、その二人は駐車場にあった、高級感の漂うBMWに近づいていき、車の両側に分かれて、あたかも車に乗り込むような様子を見せました。しかし彼らは、ドアを開けようともせず、なにやら中を物色しているような動きを見せました。しかも、人や車が傍を通りかかると、ドアに背を向けてやり過ごしていました。(下図参照)

怪しいアフリカ系の二人組み 路上窃盗か

この二人は車を盗もうとしているのではないかと怪しく思い、すぐに警察に電話して、状況を知らせました。しばらくして警察の車が到着すると警察官はこの二人ではなく、駐車禁止区域に駐車していた別のバンを調べ始めました。(下図参照)すると中から6人ぐらいのアフリカ系男女、それも20代の男女が出てきて、警察に取り調べられました。その後に、警察はBMWのそばにいた二人に近づき、職務質問をかけていました。

バンからもアフリカ系の人が集団で現れる

恐らく警官が車の所有権を確認する書類を要求したのでしょう、その二人は何かの書類を警察官にわたし、警官は問題ないと判断していました。

ドイツのパトカー
(写真はイメージです)

結局、最初の二人はBMWのドアを開けて立ち去りましたが、一体この二人は何をしたかったのかよくわかりませんでした。しかも、何でこんな住宅街に駐車していたのか、バンにいた集団は一体何をしていたのか、謎のままに終わってしまいました。

どのような行動をとればよかったのか

ただ、結局最初の二人は車の所有者だったのでなんら犯罪行為は行ってなかったということは確かでしょう。

もしこの二人がヨーロッパ系の外見だったら、警察に通報していなかったかもしれません。明らかに怪しい動きおよび外見が私にとって怪しいと疑わせた動機として決定的でした。これは人種差別なのだろうかと自問しています。もし自分が逆の立場になって、外人という外見のせいで通報されるとすれば確かに嫌な思いをします。しかし、住民として、見慣れない風貌+不審な動きを見れば通報せずにはおれません。

警察も、「車の窃盗の可能性があったら通報したほうがいい、それがたとえ間違った通報であったも」みたいなことをその電話で言っていました。

スクリーニングという手法

ドイツの警察官が職務質問する際に、外見で判断してある特定の社会集団に質問をかけるというスクリーニングという手法がとられていることはたまに新聞でも問題になっています。しかし、警察官は今までの経験から、ある人に、振る舞いの特定のパターンが見られるとき、犯罪者の可能性が高いと判断してその人物に職務質問をかけます。その場合、風貌が警官の判断に大きく影響を与えていることは否定できません。もし、どのようなパターン認識も否定するのであれば、見ず知らずの他人を路上で怪しいと思うことすらできません。というのはこれまで似たような人が犯罪者であったとしてもその路上の人自身は赤の他人なので、外見で判断するしかありません。

安易な比較の問題

といっても、二つの点で、警官によるスクリーニングと市民の行動を同等に扱うことは出来ないでしょう。

一つ目の点は、警官は、強制力を備えた国家権力として立ち現れてくるということに関係します。警官と市民との間の関係の非対称性ゆえに、市民同士という対等な関係における行動規準と同じ基準を適応することは、熟慮なしにはできないでしょう。

二つ目の点は、スクリーニングをかける際の基準です。それは、職務質問される人にとって、その性質をもっていることに対して自由意志が介在しない、つまり、それが生まれもった性質である場合と、自由意志によって選んだ性質である場合は区別する必要があるということです。自由意志の介在があるか否かによって、本人への責任追及の可否が決まってくるでしょう。例えば、アフリカ系の身なりで生まれてきたのはどうしようもありませんが、ラップ系の服装をしていたりするのは本人の自由意志です。意思や過失がないのに、当人に不利益を被らせることは不公平です。

それゆえに、警官の場合と私の場合は全く別に考えるべきでしょう。*

*法学部出身ですが、法学は専攻していないので、法律家としての意見ではありません。

結局のところ、今でも自問しています。私のとった行動は正しかったのかと。もしかしたら、ある一つの正しい答えというものは存在しないのかもしれません。

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