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元コンサルタントな歴史家―ドイツから見た日本

大学で近代日独軍事史を研究する伊藤智央のエッセイ。ドイツと日本に関する批判的な評論を中心に海外生活(留学や移住)の実態をお伝えしています。その際には元戦略コンサルタントとしての経験も踏まえてわかり易くお伝えできればと思います。

売れてるから買う日本人、人の買う物に興味がないドイツ人

ドイツ ドイツ-政治・経済・文化 日本 日本-政治・経済・文化

日本ではいたるところで、ランキングや他人の評価を全面に押し出した広告を見ます。

「これが今一番売れています」というポップアップがドラッグストアの商品棚を派手に飾っていたり、食べログのランキング・評価がレストラン選びで重宝され、「全米○○○万人が泣いた映画」というキャッチフレーズが使われたりしており、人気があるということそれ自体があたかも品質の担保であるかのように扱われています。

それに比べてドイツではあまりランキングは見ませんし、あまり気にしている人もいないような印象を受けます。確かに本屋に行くとベストセラーのコーナーはありますが、基本的には人気の店・商品だから行ったり買ったりするということは少ないと言えます。

消費行動にこのような差があるのは何故なのでしょうか?

行列ができるお店で待つ人たち(東京・神田にある「かんだやぶそば」で行列を作る人たち。ちなみに、私も行きましたが、おいしいです!)

日本人:平準的人間観ゆえに人気商品に殺到する

「集団の行動=自己の行動指針」の前提条件

消費行動において、「同じグループに所属する多くの人(例えば「若い人に売れています」というポップアップ場合には「若い人」)が買って気に入っているのであれば、自分も気に入るはず」という思考方法は言い換えると、他人の行動自分の行動の指針として使っているということです。

この場合の「他人」というのは、自分と同じ集団に所属している人を表しています。

ではなぜ、他人の行動が自分の行動の指針となるのでしょうか。

そこには他人と自分の嗜好は一致しているという前提が無意識にも置かれています。この暗黙の前提の下で初めて、以下の三段論法が成り立ちます。

それは例えば
「自分は大学生」
    ↓
「一般的に大学生は~するものだ」
    ↓
「だから自分も~をしよう」
ということです。

同様の事は「社会人」、「~歳代」といった集団的分類にも当てはまります。

消費行動の裏にある人間観

自分と他人の嗜好が一致しているという前提が置かれていることは、日本人のアイデンティティ形成のある型を示唆しています。

すなわち日本人は、自分を他者と違った存在とは見ておらず、自分も他の人と基本的に同じような存在と捉えています。この平準的な人間観があるからこそ、上記の嗜好の一致が可能となります。

そして今度はこの人間観によって、自己のアイデンティティ形成において、人と違う面を強調してユニーク性を重視するというよりも、ある集団への帰属性を中心に置きやすくなってきます。

例えば「自分は山田太郎」というよりも、「自分は~ランクの大学生」、「自分は大企業の正社員」、「自分は年収~万円の層に属している」といった集団への帰属意識を以って自分を強く捉えているように思えます。そしてそれは同時に、他人をそのように捉えることにもつながっていきます。

近所づきあいのようなプライベートな空間においても、勤務先の会社の規模やポジション、子供の進学先によって(無意識であろうとも)相手への認識を変え、外的な帰属集団によってお互いの上下関係が意識の上で形成されているのは、その一つの例ではないでしょうか。

ドイツ人の自己認識と対比すると日本人の特徴がより明確に浮かび上がります。

ドイツ人は、「自分は(大学生といった)~の状態にいるデニス」ということよりも「自分はデニス」という感覚のほうが強くなっています。それは他者を認識するときでも当てはまります。トーマスさんをイメージするとき、トーマスは「あの」トーマスその人であって、集団を通して個人を認識するような「~社のトーマス」という思考方法は(この場合は)ビジネス関係にのみ限定されており、一般化されたり、近所づきあいのようなプライベートな空間にまで拡張されることはあまり見られません

他者との関係から形成されるアイデンティティ

ドイツ人:独自性を強調した人間観ゆえに、人が買うものに興味をもたない

行動基準=「人は人、自分は自分」

ドイツ人の消費行動は一般的に日本人のそれと異なっています。

人気の商品があったとしても、それは「一般的に人気のある商品であったとしても、それは他人が気に入ったものでしかなく、人気の商品が何なのかはどうでもいい話」のように彼らには聞こえているのです。

例えば、食べログのようなランキングサイトが日本ほど使われない背景には、他の人の味覚と自分の味覚は異なり、他の人にとっておいしいものが自分にとってもおいしいとは限らないという考えが見て取れます。

否定的に表現すればこの「唯我独尊」的な態度*が、ドイツ社会の中でブームがあまり生まれない原因となっています。

*この態度が日本人には、「自分のことしか興味がなく、会話のできないドイツ人」という印象を与えることもあります。

確かに、マスコミでも取り上げられない静かなブームというものはドイツ社会にもあります。

例えば、日本料理店の増加です。日本人がこれを「日本食は海外でブームになっている」というと、どうも海外の人が熱狂的に日本食レストランに殺到しているイメージがわきますが、どちらかというとこれは、過熱性をもたないゆっくりとした変化というほうが適切かもしれません。

消費行動の前提:比較不可能な個というアイデンティティ

このような「人は人、自分は自分」という態度には、ドイツ人のある自己意識が隠れています。

すなわちドイツ人は、自分を他者と比較できないオンリーワンと見ているということです。

というのも、ドイツ人はアラサーや大学生、社会人といった何らかのカテゴリーに入れて自分を捉えていません。たとえ客観的に見て、自分の行動パターンが社会的な要因に規定されており、結果として他の人と同じような人間であったとしてもです。

主観としては、自分は比較不可能でユニークな個であるように映っています。

デニスとトーマスの例を繰り返すと、彼らは「大学生のデニス」、「~社のトーマス」といった自己認識はしておらず、「大学生」や「~社」という枕詞がアイデンティティ形成に果たす役割は少ないといってもいいでしょう。

こうした比較不可能な個と自分を捉えているからこそ、他人の消費行動には興味を示さないのです。

人の意見を気にしないドイツ人

まとめ:流行に流される日本人、楽しくないドイツ人

売れ筋商品か否かを気にするのかは、他者の行動を自分の行動の指針としているかどうかと密接に結びついています。そしてこれは、日本とドイツ、両社会に根差している人間観の差異に起因していると考えられます。

どちらが良いのかということとは別の問題です。

ただ個人的スタンスとしては、どちらも長短があると思っています。

日本

ブームやランキングにあふれる日本は、メディアで伝えられる商品や店のストーリーが興味深く、人気の店が存在するということだけで街に出かける理由にもなって楽しいです。しかし、流行に踊らされている浅薄さがあります。

ドイツ

他方で、これといったブームのないドイツ社会は変化が少なくつまらないが、芯をもって、人は人、自分は自分と思える考え方は、個人的には目指したいと思う人生観でもあります。

というのも、もしこの人生観を身に着けることができれば、他人の評価に左右されない、ある意味達観した境地にたどり着けるように見えるからです。

確かに以上の説明に当てはまらない例外的現象もあるでしょう。しかし全体的な傾向としては、日本とドイツ人の人間観と消費行動との関連に関して納得の行く一つの説明ではないかと思います。

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