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元コンサルタントな歴史家―ドイツから見た日本

大学で近代日独軍事史を研究する伊藤智央のエッセイ。ドイツと日本に関する批判的な評論を中心に海外生活(留学や移住)の実態をお伝えしています。その際には元戦略コンサルタントとしての経験も踏まえてわかり易くお伝えできればと思います。

バイリンガル/帰国子女として子どもを育てることの3つの難しさ

語学 ドイツ ドイツ-生活一般

日本語だけの環境で育った場合、バイリンガルやトリリンガルで育った人を見ると羨ましく感じます。私も昔はそう思っていました。

特に英語や中国語のような、「使える」言葉を第2母国語として持つ場合はますますそう思ってしまうでしょう。

しかし、多言語環境で育って複数の言語を身に付けることはそう簡単なことではありません。また中にはそのような境遇ゆえに苦労している人もいます。

ということで、メリットばかりが強調されがちですが、多言語環境で育つことの落とし穴を言語の面と、言語に付随する文化の面から見ていきます。多言語環境で育つことの難しさを考えると、「とりあえず子どもをバイリンガル環境で育てておけば間違いはない」というような甘い考えは再考が必要となるでしょう。

*以下の記述は、あくまでバイリンガル/帰国子女というもののリスクの可能性を指摘しているもので、必ずリスクが現れると述べているわけではありません

多言語環境で子どもを育てることの難しさ

言語面:中途半端になる

多言語環境で育てば、どちらの言語も自動的に完璧に使えるようになるというわけではありません。

二つの言語を使えたとしても通常はメインとして使う言語と、サブとして使う言語に分かれてしまいます。その結果、メイン言語は完璧になりますが、サブの方は補助的にしか使わないため、サブ言語に関する言語能力は母語者の能力に比べれば劣ってしまいます。

時間的な制約

その理由は、時間的な制約です。

当たり前ですが、一日24時間しかない中で、一方の言語Aに80%時間を割けば、もう一方の言語Bには20%しか残りません。触れる時間が少なければ語彙の発達が遅れるのは当たり前です。

言語の発達は、幼児期だけに行われるわけではなく、学校教育も必要です。それぞれの言語の文学を読んで解釈したりすることで、その言語への感覚が研ぎ澄まされます。

言語Aの学校に行けば、言語Bの学校には行けません。もしくは言語Aでの授業が多ければ、言語Bでの授業はその分少なくなります。

複数の言語を話せたとしても、そのようにしてメイン言語とサブ言語という分化が起こってきます。

特別な教育が必要になる

とりわけ日本語がサブ言語にあたる場合、母語者と比べて発達が遅れてしまうことは顕著になります。

というのも、学校や社会でメインとなる別の言語を話して、日本語は家庭の中と言う場合、日本語は話せたり聞けたりしても、漢字の読み書きができないことになります。漢字を使いこなせるようになるには特別な教育が必要だからです。

日本語のみの環境で育つ子どもでも小学校で死ぬほど漢字の反復練習をやらされ、さらに漢字の教育が高校レベルまでなされ漢字の読み書きや四字熟語についての質問が大学入試にまで出題されるほどです。つまり18歳まで意識的に漢字を勉強させられます。

しかし、こうした教育を受けずに漢字が出来ないとなると、会話の中で使う漢語表現にも制約が出てきます。

それは日本語がサブとなる場合だけではありません。

英語がサブとなる場合であっても、学校で英語を使うことが無い場合、様々な文学表現といった教養が身に付きません。

サブ言語に対するこうした言語教育は、家庭教師をつけて、通常の学校の後に行う必要があります。サブ言語の発達の遅れを補うためには通常の学校教育とは別に特別な教育が必要ということです。

しかし、それは子どもにとっても負担になるのではないでしょうか。というのも、他の子どもが遊んでいる中で、自分だけが補修教育を受けなくてはならないというのは、子どもにとっては納得できることではないからです。

「何で自分だけ・・・」という気持ちから反発する気持ちも出てくるでしょう。このような負の要素が子どもの性格形成にどのような精神的影響を与えるのかは考えた方がいいのかもしれません。

また、放課後の言語教育によって、別のことを勉強する機会が奪われもします。

恥ずかしいし必要ない

子どもにとって、親が変な言語で話していると恥ずかしがることもあります。特に思春期になると、この傾向が表れてきます。

そうなると、親がいくら言語B(=サブ言語)で話しかけようとも、子どもは言語A、つまりその社会で使われている言語で答えようとします。子どもにとっては、言語Bは「親と話す言語」でしかなく、それ以上の有益性を見いだせないからです。

はっきり言うと、「友達も誰も話してないそんな言葉、何で話さないといけないの?!必要ないし、そんな言葉を話すこと自体恥ずかしいから話したくない」ということです。

転校してきて、自分の方言を学校で話すのが恥ずかしいというのと似た原理です。

知り合いのドイツ在住アメリカ人は、子ども(現在10代後半)に常に英語で話しかけてきたそうです。しかし、子どもは恥ずかしいからということで、常にドイツ語で返答しており、彼の話しによると子どもは彼の話す内容もほとんどわかっていないということです。ちなみに母親はドイツ人です。

こうした事例は他にも聞きます。

すべての言語が均等に発達するわけではない

こうした様々な障害要因の結果、母語者に比べて言語Aは100%、言語Bは60%のレベルになるという事態が起きてしまいます。

言語AとBを足せば160%となってモノリンガルな人(単一言語使用者)が1つの言語を100%しか使えないのと比べると60%分多くなります。

しかし、言語Bを使ってコミュニケーションを取る場合、言語Bに関して自分は60%しか使えないのに対して、相手は100%使えるわけですから、劣等感を感じてしまうこともあるでしょう。

文化面:アイデンティティ・クライシス

言語が2つ出来るということは、アイデンティティ形成の軸がぶれやすいということです。特に、帰国子女の場合にこれは見られます。

例えば日本人の家庭でありながら海外で現地の学校もしくはインターナショナルスクールに行っている場合、日本語で教育を受けていません。その場合、考え方は現地のものになってしまっています。

しかし、もし日本に帰ることになった場合、軋轢が起こることがあります。

自国なのに溶け込めない

例えば、英語をメインとして育った場合、頭の中の動きは英語圏の人と近くなります。そのため、振る舞い・人生観・人間観も通常の日本人とは異なるでしょう。そのため、日本社会で暮らしていくのは簡単ではありません。

まだ年齢が低ければ、すぐに「帰化」できるでしょうが、年齢が高くなればなるほど柔軟に対応するのは難しくなります。

これと同じことはどの社会においても言えます。社会で一般的な価値観と異なった価値観を身に付けている場合、その社会とうまく折り合いをつけていくことは心理的になかなか難しいでしょう。

そのため、「日本」という存在に対して違和感を感じてしまうこともあります。

自分の国に戻ったのに、まるで移民として来たかのようです。そうなると「自分とは一体何者なのか」と感じ、自分のアイデンティティが確立しにくくなります。

最終的には、国という枠組みにとらわれないような形で「自分は自分」というアイデンティティを確立することが多いのですが、それにしても、そこに至るまでの精神的葛藤は、人格に良い意味でも悪い意味で影響を与えるでしょう。

移民による帰国と類似

これは一度海外に移住した人たちが何世代かたった後に帰って来たケースとも似ています。

ドイツにはロシアから移民として来た集団があります。彼らはロシア国籍でしたが、ドイツ系の祖先をもっているとみなされてドイツへの移住が認められました。しかし彼らはドイツではロシア人とみなされ、ロシアではドイツ人とみなされています。つまりどこに行っても故国はないのです。

同じことは日系ブラジル人にも言えます。彼らは日本ではブラジル人扱い、ブラジルでは日本人扱いです。

まとめ:多言語環境で育つことの難しさ

確かに多言語環境で育つことは、人間を豊かにします。

しかし、子どもをそのような環境に入れておけばすべての果実を自動的に獲得するというような甘い考えは捨てるべきでしょう。というのも、多言語環境で育つことはそれほど簡単なことではなく、またリスクも含んでいるからです。

難しさ①:両方の言語を自動的に100%マスターできるわけではない

まず、両方の言語を100%マスターするには人並み以上の努力が必要だということです。

言語能力を高めるためにはそのための特別な教育が必要です。そのため、両方の言語を100%マスターさせたいのであれば、普通の子どもよりも大きな作業量を要求することになります。

難しさ②:過度な負荷が与えるマイナスの影響

このような過度の負担が子どもの精神的発達にどのような影響を与えるのか、それは事前にはわかりません。

しかし、他の子供よりも大きな負荷がマイナスの影響を与える可能性も否定できません。

難しさ③:迷走する自分探し

加えて、アイデンティティの軸がぶれることで、精神的な葛藤に見舞われることがあります。

特に、海外で暮らしてきた場合、帰国した際に社会へ溶け込むことが難しく、自分の国なのに、違和感を感じてしまうことがあります。自分の国なのに移民と感じてしまうということです。その場合、「一体自分は何者なのか?」という虚無感に襲われることも少なくありません。

「自分は言語に苦労したから子どもにはその苦労をさせたくない」というのはわかりますが、バイリンガル教育にはいい点ばかりしかない、というわけではありません。

極端な話、ドイツで子どもを育てる場合に子どもがドイツに今後とも住み続けるのであれば日本語は必要ありません。日本語が職業上必要となることも少ないでしょう。そのため、別の言語や教育に時間を投資できるように、敢えて日本語を教えないという選択肢もあるでしょう。

こうした盲点を踏まえた上で、バイリンガルとして育てるのかを考慮してみてはどうでしょうか。*1

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*1:繰り返しになりますが、あくまで以上の記述は、バイリンガル/帰国子女というもののリスクの可能性を指摘しているもので、必ずリスクが現れるとは限りません