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元コンサルタントな歴史家―ドイツから見た日本

ドイツの大学で歴史を研究する伊藤智央のブログ。ドイツと日本に関する批判的な評論を中心に海外生活(留学や移住)の実態をお伝えしています。その際には元戦略コンサルタントとしての経験も踏まえてわかり易くお伝えできればと思います

日本人があまり知らない宗教のメリットとは?

社会評論 社会評論-政治・経済・文化

宗教と聞くと、「争い」といったネガティブな事柄を思い浮かべる人もいるかと思います。

信仰のために人を殺し合うこと*1も現に起こっています。また新興宗教のように、しつこく勧誘に来て、お布施を巻き上げる詐欺のイメージをもっている人もいるでしょう。

もちろんデメリットも存在しているのですが、宗教にはストレス社会をうまく生き残るための効用が存在しています。それはストレス軽減の効果です。

*ちなみに私は不可知論者なので、信仰心のかけらもありません。そのため当記事は宗教の勧誘では決してありません

心のバランスとは

完璧主義者の友人

周りに信仰心が強い人がいるのですが、その人を見ていると、彼にとって宗教がどのような役割をしているのかがよくわかります。

もともと彼はストレスを感じやすいタイプでした。というのも、彼は完璧主義者で、何でも完璧にしようとする義務感を感じていました。そのため、大学でも私生活でも常に何かに追われているようでした。

しかしその義務感からか、社会的・経済的には成功をおさめています。

彼はドイツ系ロシア人の家庭の生まれたのですが、ドイツ語は母語ではありませんでした。しかし、10代でドイツに来てからは学校でもドイツ語(=国語)も含めて全科目で模範成績を修めるほどの努力家でした。その後、情報学を大学で勉強して、IT関連の営業をするようになりました。

その一方で、彼に会うたびに白髪が目に見えて増えていきました。もしかすると、白髪が多い体質なのかもしれませんが、肌の老化も年齢のわりに目立ちます。話を聞いていると、仕事でかなりストレスを感じているようです。

信仰心の強さ

そうしたストレスと平行するように、正教会への彼の宗教心はますます強まっていきました。

食事の席で祈りを捧げたり、日曜日の3-4時間も続くミサ*2に毎週参加し、聖書を信じ、聖人にゆかりのある土地を巡礼したりするようになり、私の周りのドイツ人からもあまり理解できないほど、はまりだしました。友人との会話の中にも、神とか聖人とかの単語がよく飛び出してきます。

5時間近く続くミサだったら、私だったらもう行きたくありません。長すぎます。

当然のことながら、子どもの名前はマリアです。正教会でマリア信仰が強いことを考えると当然の結果でしょう。彼によると、「子どもは自分でその名前で選んだ」そうです。どうやって子どもが自分で名前を選べるのかはわかりませんが、彼はよく聖人関連の夢を見るそうなので、もしかしたら夢の中で、まだ生まれてきていない子どもが現れたのかもしれません。

奇跡を信じるということ

とりわけ彼の話しを聞いていて驚きを感じるのが、奇跡を信じていることです。

彼が私に話してくれた内容を要約すると、以下のようになります

ある男性が、車で轢かれて殺されました。その男性を轢いた男性はそのまま逃走しましたが、ひき殺された男性はもともと敬虔なキリスト教徒で、奇跡が起き、彼は蘇りました。そしてひき逃げ犯は、神の導きにより警察に捕まりました

こうした話を、現実に起こった話しとして話してくるのです。

普通は、「本当?」って思います。「轢き殺された男は実際には死んでいなくて、瀕死のところを医術でなんとか回復したんじゃない?」というのが、信仰心のない、私のような人間が考えることです。

日常生活の出来事を神や聖人という言葉で説明されると、魔術への信仰にも近いものを感じてしまいます。

ストレス軽減効果

しかし、彼を精神的に支えているのは、神(以下、聖人を含む)への信仰です。

彼によると、神を信じることで、

「自分がコントロールできるところだけ努力して、自分がコントロールできないことは考えても仕方ないから神に任せる」

という考え方が出来るようになったそうです。

ストレスの原因にはいろいろなことが考えられますが、まだ起きてもないことや、自分ではどうしようもないことを念頭に、「より悪い事態がもし起きたらどうしよう」とか「相手はどのように反応するのだろう」と先回りして考えてしまうことがあります。

そんなことは神/運命に任せてしまって、自分が今できる目の前のことに集中したほうがよっぽど生産的ですし、精神衛生的にも良いでしょう。

彼はそうした形で神を位置づけています。*3

想像ですが、そのように考えることは彼にとって、ストレス社会で生き延びるためには必要不可欠なのでしょう。神の手の中で守られているという安心感を感じるのでしょう。

人生のストレスとうまく折り合いをつけていくためには

彼にとって宗教とは、無駄なこと、つまり自分ではコントロールできないような運命を考えさせないようにするための仕組みと化しています。

仕事や私生活のストレスを忘れさせるような趣味とも似ているのでしょう。

考えすぎる人には特に、日常を忘れさせるような何かが必要です。それがないとストレスだらけで早死にします。ただ、それが宗教でなければならないのかは別問題です。しかし、そうしたストレスを軽減する効果があるからこそ、考えすぎる人が宗教にハマり易くもあるのでしょう。*4

関連する記事

*1:もしくは宗教に名の借りた戦争

*2:正教会のミサはカトリックやプロテスタントのそれよりも長丁場です

*3:もちろんそのために毎週5時間ほど教会関連のことに時間を費やしたりしていますが

*4:オウム真理教の幹部クラスの人に、有名大学出身者が多かったように、高学歴の人が宗教にハマりやすいのは、宗教のこうしたストレス軽減効果もあったのではないでしょうか。結局、宗教も用法を間違えると、デメリットが大きくなるということです