元コンサルタントな歴史家―ドイツから見た日本

ドイツの大学で歴史を研究する伊藤智央のブログ。ドイツと日本に関する批判的な評論を中心に海外生活(留学や移住)の実態をお伝えしています。その際には元戦略コンサルタントとしての経験も踏まえてわかり易くお伝えできればと思います

海外生活はストレスが溜まる ?!海外移住・長期留学の過酷な現実

さて、海外で1年以上住む際に最も大切なことは何だと思いますか?

それは、当たり前に聞こえますがまずは言語の修得です。それは、ドイツに来た難民が社会へ溶け込むためのキーとして、ドイツの政治家が言葉の習得を挙げていることにも表れています。

しかし、言語ができればそれで問題は存在しないというわけではありません

海外で生活するようになると、日本では考えられないような精神的ストレスを感じてしまいます。そうした海外生活のストレスをここでは実体験に基づいて、いくつかのフェーズに分けて説明していきたいと思います。

海外生活は思っている以上に心への負担が大きい

精神力こそが現地語の習得よりも重要

海外で生きて行く上で言語の習得よりも重要なことは、全く新しい環境とどのように折り合いを付けていくのかということです。というのも、海外では、日本で簡単にできたことが急にできなくなるからです。

自由やプライドが傷つく

自分の言いたいことをうまく説明できなかったり、社会生活においてもわからないことが多かったりと、戸惑うことが多くあります。「やりたいことがあるのに、うまくできない」という経験が続くと、行動の自由を奪われたような気分にもなります。

また、商店で嫌な顔で店員から対応されたりすると、理不尽さを感じて腹立ちます。「嫌な顔をするのは、私がアジア系の顔をしているからかな?」とも感じることもあるでしょう。こうした軋轢ごとに、少しずつプライドが傷ついていきます

このように個人の自由や尊厳が傷ついてしまうよう*1ことで、不慣れな環境に対して、生理的な拒絶反応を示すようになることもあります。もともとはその国が好きで移住・留学したにもかかわらずです。

海外社会の中で働いて、日本(語・人)とは関係のない環境で現地人と対等に渡り合っていこうとすると、「現地」との不安定な関係が生じてきます。

しかし、このような精神的葛藤も、現地で過ごす時間と経験によって変化していきます。ここでは、次のように5つのフェーズに分けて説明していきます。

1. 感激フェーズ

周りのことがすべて目新しく、その国がどんどん好きになっていくフェーズ

この時期はたいてい、海外社会の中で本当に揉まれた経験をまだしていません。

観光を通して現地社会を表面的に観察したり、日本好きな現地人との接触がメインとなるため、現地社会のマイナス面を見ることはあっても自らが直接さらされることはありません。

現地語のつたなさから、少し話しただけで明らかに外国人と認識されるため、現地人からお客さん扱いをうけます。そのため、まともに嫌な思いをすることも少なかったり、もしくはこれから現地語がうまくなればこうした問題はなくなると考えます。

楽観的で希望に満ちたフェーズとも言えます。

私の場合、見るものすべてが物珍しく、肉屋さんでソーセージが並んでいるのも写真にとっていました。大学に入る準備をしていたのですが、とりわけプレッシャーもなく、毎日が遊びのような天国のような状況でした。

2. うつフェーズ

海外で最初の壁にぶつかり、へこたれる時期

次に来るのが、現地人との違いを目の当たりにして、自分のふがいなさに否応なしに気が付かされるときです。

ほとんどの場合、その壁とは言語でしょう。第一フェーズの「感激フェーズ」では、現地語が出来ると自他ともに認められてきたことでしょう。しかしそれはあくまで「外国人」として現地語が出来るというだけで、現地人と肩を並べると相手にもなりません。

このうつフェーズになって初めて、現地人との格の違いを感じることになります。そして、この言語の壁があまりにも高く感じられ鬱になります。というのも、現地人に全く太刀打ちが出来ないからです。

私の場合それは、大学での授業でした。
まわりはドイツ人だらけで外国人ゼロ、日本のことに興味も無し、そのため向こうから自分に接触してくれる人はほとんどなし、言葉も上級レベル*2でも太刀打ちできないほど方言や個人個人の話し方の癖が入っていて、授業でノートもろくにとれない日々。 「日本だったらこうじゃないのに」という思いでいっぱいでした。
自意識だけは大人なのに、赤ちゃん並に何もできないという現実とのギャップに苛まれます。この時期の体験談については、以下の記事で詳しく書いておりますので、ご参考下さい。

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このフェーズ以降は、「好きだけど嫌い」というアンビバレントな現地社会とのお付き合いが続きます。

3. 同化フェーズ

最初の壁を乗り越えて自信をつけ、「現地社会に同化してやろう」という意気込みが溢れてくるフェーズ

現地語の習得に困難はありつつも、毎日の生活のなかで小さな成功を修めていきます。そうして、少しずつ現地でやっていく自信も生まれてきます。

そうして、現地社会に少しづつ順応していくうちに、日本語もあまり使わなくなり、日本語能力も低下してきます。そして、頭の中の言語がどちらかというと現地語がメインになってくるのと平行して、関心自体も日本よりも主に現地のニュースや出来事に向くようになります。

どちらかというと、「今までの自分の経験」=「日本」を犠牲にして「現地」を優先させている時期です。

私の場合は、大学の日常の中でうまく立ち回るコツを自分なりの生み出していきました。当初は緊張でカチカチになっていた大学での発表も、少しずつ慣れていき、ゼミ論文、発表といった日常の忙しさの中に安定を見出していきました。いい成績もとれるようになり、このままいけばドイツ人並みにドイツ語が出来るんじゃないのかという自信も湧いてきました。

4. 絶望フェーズ

同化には限界があるということに気付き、アイデンティティ・クライシスに陥るフェーズ

しかし、いくら頑張っても、言語では現地人には勝てないということに気が付いてきます。外人はいつまでたっても、いくら頑張っても外人です。

その一方で、日本人的な考えからも外れていく自分も感じるようになります。日本に戻ってもうまくやっていけないほど、考え方も行動パターンも現地化してしまっています。

こうした自分のあり方が、中途半端に見えてしまいます。

私はこのとき、5年のドイツ語学習暦から、「自分は5歳の現地人と同じくらいでしかない。周りの20歳には到底勝てない」と思いました。そのとき、「努力では崩せない壁があり、人間の能力には限界がある」ということを感じ、それまでの人生で信じていた、人間の無限の可能性を否定されたように感じました。衝撃的な体験でした。
その一方で、生活第一で、休暇を楽しむドイツの生活スタイルを身に付けてしまっており、もう日本の考え方には染まりたくないという思いも持っていました。
戻ることも、進むこともできないジレンマを感じていました。

5. 安定フェーズ

「すべての点で現地に同化する必要もなく、日本人であることをうまく利用して生きていこう」と考えられるようになり、精神の安定を取り戻すフェーズ

「現地化している自分」とともに、「現地人化せず/できずに日本人のままである自分」を受け入れて、それを活かそうと考えます。

ネイティブと同レベルで現地語を話すということが不可能である現実を受け入れ、それを踏まえて自分には何が出来るのかと前向きに考えることが出来るようになります。

自分の中で「日本」と「ドイツ」のバランスが取れていることが意識できる時期です。

私の場合は、専門を変えることでした。この詳しい事情については以下の記事で書いておりますのでご参照下さい。

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心の葛藤(=ストレス)は何年も続く

以上は、私の経験や見聞きした話をもとにまとめたものです。

ドイツの事例を念頭において書いておりますが、海外移住・留学に関して一般的にあてはまることと思います。

ポジティブな第1フェーズが、第2フェーズでネガティブな気分に下振れし、その後はその振り子の上下運動を繰り返しながら、第5フェーズでようやく振れも少なくなって収斂していくというイメージです。

ちなみに私の場合、「感激→うつ→同化→絶望→安定」というフェーズを経るのに、4-5年はかかりました。その過程でストレス性の病気も数々体験しました。*3

「日本」というものに理解をもたない環境の中で成果を出さないといけないというプレッシャーがある、かつ神経質な人は、共感のできることも多いのではないでしょうか。

そうしたストレスの大きさを考えるとき、ストレス耐性が高い、もしくは、あまり神経質に考えないような性格の人のほうが、海外ではよりうまくやっていけるのではないでしょうか。

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*1:あくまで主観的なレベルでの話で、実際に自由や尊厳が傷つけられると主張しているわけではないです

*2:留学前にZOP(C2相当)に合格していました

*3:但し、環境や性格によってもこのようなフェーズは変わってくるとは思います