第一次世界大戦において、参戦国の中で最大の撃墜数を誇った飛行機乗り、フォン・リヒトホーフェン(Manfred von Richthofen)のお墓がドイツ・ヴィースバーデンにあります。
フォン・リヒトホーフェンについて
彼の功績は英雄視され、それにあやかって彼のあだ名はホテル名としても使われていたりしました。加えて、彼の人生は『レッド・バロン』(原題: Der rote Baron)という名で映画化もされました。「赤い悪魔」とも呼ばれており、聞いたことがある方もいるかもしれません。
遺体をめぐる政治的駆け引き
彼は1918年、空中戦の最中に地上からの機関銃によって被弾して墜落、戦死しました。
遺体をめぐるその後の政治的やり取りは研究論文もあり、面白い分野でもあります。
墜落地がフランスだったことから、彼の遺体は長らくフランス領の墓地にありましたが、ワイマール期にドイツに移送されました。その移送儀礼を誰が中心となって行うのかについて、国防軍も含めた国内諸団体が主導権争いをしました。この経緯については以下の本が詳しく扱っています。儀礼がもつ象徴的性格が政治的な作用をどのように発揮するのかについての一例です。
遺体の扱いや葬儀というテーマも記念碑とともに、記憶をどのように政治的儀礼の中で演出し、協同体の記憶として作り上げていくのかということを考える重要な材料です。
フォン・リヒトホーフェンのお墓
その後、彼の墓所は長らくベルリンにありましたが、1975年に同墓地が東ドイツ政府によって撤去される際に家族によってヴィースバーデンの南墓苑(Südfriedhof)に移されました。
有名人のお墓めぐりは、その前に立つだけでその人物と会ったような不思議な気持ちになるので、観光の中でも最も好きです。
フォン・リヒトホーフェン家の墓地 | |
(ヴィースバーデン南墓苑Südfriedhofにて。以下、同様)
今でも訪れて献花する人がいるみたいです。
最終的にヴィースバーデンにお墓が移されたのは、母クニグンデがヴィースバーデンに埋葬されているからでしょう。
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