ドイツ史を学びにドイツに来てからもう10年近くたちます。
もともとフランス語を大学の第二外国語で勉強していたのに何故ドイツに興味をもつようになったのか聞かれることもしばしばあります。しかし興味を一旦抱くようになっても、実際に留学するまでには何ステップもその間に横たわっています。
留学というのはそれだけでも人生の大きな決断だといえます。
そこで、ドイツに留学するまでの、私とドイツの関係を説明してみたいと思います。
大学での迷走
何をしたいのかわからなくなった
元々総理大臣になりたかったのがすべての始まりです(笑)
何も持っていない自分が政治家になるには官僚経由でなるのがいいと思い、さらに官僚になるには東大がいい、という安易な発想で大学に入ったのですが、すぐに幻滅しました。
一言でいうと、「官僚って思ってたのと違うやん」ということと「法学って面白くないな」ということでした。そこから、物理学をしたいと考え、実行に移そうとしたりという「思想的」遍歴をたどり、結局はとりあえず、このまま法学部で政治学をやっておこうということに落ち着きました。この間の詳しい事情は以下の記事で取り上げております。
ある大学院生との出会い
しかし、何かしっくりこないと感じながら毎日を過ごしていたときに、ある出会いが私を変えてくれました。
それは、都内某大学の博士課程にいたAさんと、とある学会で出会ったことでした。その場では、若い人は少なく、比較的年齢が近かったAさんが時折話していたことがとてもおもしろかったので、話を聞いてみたいと思って勇気を出して話しかけてみました。
Aさんは、ドイツ近代史を専攻していて、自分の専攻の話しを興味深く話してくれました。ドイツ人の名前が大量に出てきたその話は、私の全く知らない世界でした。
それ以来、Aさんの頭の中にあることを吸収しようと思って、Aさんの勉強会に参加していきました。幸いAさんは、狭量な人ではなく、惜しみなくいろんな話をしてくれ、私は、社会科学寄りの法学部ではあまり接触のなかった、人文科学系の領域に魅かれていくようになりました。
Aさんに完全に影響された形で、私はドイツというものに興味を持つようになり、ドイツ語もその流れで独学するようになりました。
ウィーンに感激
基本的にはドイツ史やドイツ語の本を読んで一人で勉強していたのですが、ある時、近くの図書館に偶然立ち寄ったところ、これまた偶然に、私の住んでいる自治体がウィーンへの親善大使を募っていて、何やらホームステイをしながら数週間、現地の人と文化交流が出来るというプログラムがあることを知りました。
とりあえず、応募書類を送ってみると、合格し、夏休みの間、ウィーンへ行く機会を得ました。ウィーンに実際に行ってみると、「何やら雰囲気が違う。見るものすべてが違う」という印象を受けました。人の人生観も違うし、街並みも違う。
そうです、私は生まれてからこのときまでパスポートをとったことがなかったので、すべてが新鮮に見えました。そのときふと「こんな町で勉強してみたらどんな感じなんだろう。きっと楽しそうだな」と思ってしまうほど、この町は魅力的でした。
今から思うと、ドイツ語も全くできない単なる観光客*1目線では、海外生活の負の面など見えなかったのでしょう。
このホームステイ時の気まずい思い出について以下でまとめておりますので、ご参照下さい。
後で思いましたが、人生の重大な選択を私は結構適当に決めてしまうところがあります。
留学準備編
さっそく日本に帰ってきてから、留学に関して調べ始めました。特に以下のような点についてでした。
- 奨学金
- 入学条件
- ドイツ語
- その他の資格
奨学金やドイツ語の学習スケジュールを考慮して留学時期を決め、次に大学の候補を探しました。
もともとドイツ史に興味があったので、ドイツ史の修士課程に入学しようと思っていました。しかし学部卒業時の私の卒業資格(予定)は法学士。歴史学の修士がしたければ歴史学の学士が必要でした。
東大の法学政治学の場合、修士課程への入学資格として、同じ科目での卒業は必ずしも必須ではありません。*2その分、大学院にも入学試験があって、それで志願者を振るい落としています。日本の事情が頭にあったので、ドイツの制度を知ったときには、「もっと柔軟に制度運用してよ。面接とかしていいから、入れさせろやー。」と思いましたね。
ドイツの話しに戻ると、ほぼすべてのドイツの大学を調べまわって、ようやく見つけたのが、ジーゲンという大学でした。この大学では、歴史学以外の学士を持っていても修士課程に入れる特別なプログラム*3があるということでした。
そして、ジーゲンという街がどこにあるのか、どんな大学なのか全く知らないまま留学先を決めました。
ジーゲンってどこ?
ちなみにドイツのボードゲームには「ミンデンを見つけられるかな」*4というゲームがあります。ドイツの無名の町を探すというゲームなのですが、ここに出てくる地名はドイツ人(子ども?)にもあまり知られていない街ばかりです。有名な街だとすぐにわかってしまい、ゲームとして面白くないからです。
このゲームの説明の冒頭に、無名の町の一例としてジーゲンが挙がっています。
ヴァッツマンを探しています。ミンデンを見つけてみよう。ジーゲンはどこにあるのでしょうか。*5
こうして、全くの無知っぷりにも関わらず、もしくは無知だったからこそ未来への明るい希望をもちながら留学準備をしていました。ところが、実際に留学したらしたで、想像していた生活とは全く違う過酷な条件が待っていました。
留学なんて何とかなる?
私の場合、留学を決めたのは、直観でした。そして留学の幻想を支えに準備を行っていきました。
つまり、なんとなくこうした環境で勉強したいという直観をきっかけにして、こういう環境で勉強できたらどんなに素晴らしいのだろうという幻想を原動力として留学準備をしていました。もともと、情報をそれほど集めようと思わなかったのでしょう。いずれにせよ自分が体験することを、人から聞いても仕方ないという気持ちだったのだと思います。
一言で言うと、留学を始める前は、「留学なんて何とかなる」という気軽な気持ちでいました。もし情報を十分に集めていたら、留学なんて大変すぎてしなかったかもしれません。*6
そして留学に対する態度は以下のような経過をたどっていきました。
留学準備編:何とかなると思っていた留学
↓
留学時代編:やっぱり何ともならなかった留学
↓
留学時代編:それでも何とかしようとした留学
ただ、今となってはあまり考えずに行動したからこそ、留学が出来たと思っています。大学の単位や、将来の職業といったことを考えて人生を歩んでいくとどうしても堅実な歩みになってしまうのではないでしょうか。難しいことに挑戦する場合、「何とかなる」という楽観的な考えを持たない限り、挑戦にためらってしまうと思います。
この続きとなる留学生活については、下の関連記事の中の「留学時代編」をご覧ください。
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私の人生について
- 留学準備編:本記事
- コンサルタント時代編:【体験談】私が戦略・経営コンサルタントを辞めた理由
ドイツ留学について
*1:基本的には英語でコミュニケーションをしていました
*2:参照:入試関係情報(修士課程) | 大学院総合法政専攻 入学・進学希望者 | 東京大学法学部・大学院法学政治学研究科
*3:Programm für Quersteiger
*4:Deutschland - Finden Sie Minden?
*5:"Watzmann gesucht. Finden Sie Minden. Wo könnte Siegen liegen?" 引用元:Deutschland_Finden Sie Minden. ちなみにヴァッツマンはアルプスの山地の名前、ミンデンはドイツ北部の人口約8万人の都市
*6:人によって違うと思いますが、情報を集めて、しっかり準備するのも一つの手段ではあります。留学は個人の能力と同様に、性格との相性があると思っていますので、留学をしたほうがいいのかどうか、どのような留学準備がいいのかはケースバイケースとなります