留学やドイツに関心がある方、またはドイツの大学に関心がある方にとって、ドイツと日本の大学の違いは気になることではないでしょうか。
私は、実際に日本(東大法学部:学士)とドイツ(ジーゲン大学歴史学科:修士)で勉強しそれぞれの課程を修了しております。そうした経験にもとづいて、本記事ではドイツの大学と日本の大学について相違点を述べていきたいと思います。(参照:議論の前提*1)
是非とも参考にしてみて下さい。
3つの観点
さて、日本とドイツの授業の違いを見るにあたっては、次の3つの観点が考えられます。それは
- 授業で扱われるテーマ
- 授業で出される課題
- 授業を通しての他の学生との交流
です。
授業のテーマ
ドイツの大学のシラバスや試験規則*2を詳しく見ると、すぐに目につくのがモジュールというものの存在です。これは一つのテーマの下に、講義(Vorlesung)・ゼミ(Seminar)・演習(Übung)というものがまとまって提供されている単位です。卒業するためには、こうしたモジュールごとに単位を集めていくことになります。
そして、このモジュールで扱うテーマは具体的に学期ごとに決まっています。
例えば、
- 近代の戦争
- 近代の移民史
- 19世紀の科学史
といった具合です。そしてそのモジュールに属する授業はすべてこのテーマに何らかの形で関連しています。
こうしたカリキュラム構成のため、1つのモジュールを完全に消化すると、その特定のテーマについて様々な角度から勉強したことになります。学生の側から見ると、個々の授業を相互に関連付けて理解しやすくなります。
個々の教員が自分の関心・専門に沿ったテーマでバラバラに授業する日本とは、授業間の連携度合いが異なります。
要求される課題
アウトプットかインプットか
ドイツで実際に授業を受けてみるとすぐに感じるのが、要求されるアウトプットの多さです。
日本では西洋史学科、つまり外国史の授業を受けていたということもあり、ゼミでは外国語文献の読解が中心でした。つまり、ある論文を学期の始めに配布してもらい、それを一学期かけて、翻訳しながら読んでいきました。そしてその際に、その論文の内容に関して気付いた点を話し合うというスタイルでした。
それに対してドイツの大学の授業では、必要とする単位の量に応じて、ゼミ論文か発表、もしくはゼミ論文と発表が要求されます。
授業毎にこうしたアウトプットが要求されるため、一学期当たり、少なく見積もっても3・4回は発表もしくは/かつゼミ論文を準備することになります。私の場合、学期中ほぼ毎週発表し、4個ほどゼミ論文を書いた学期もありました。
文献の読み込みは授業についていったり、ゼミ論文や発表を行ったりするための前提条件なので、それ自体が課題となることはあまりありません。
こうした授業スタイルの違いから、ドイツの大学ではインプットというよりどちらかというとアウトプットが課題の中心となります。
アウトプットの内容
ドイツの大学のさらなる特徴といえるのが、アウトプットの際に取り組むテーマの多様性です。
上にも述べたように、日本のゼミでは文献の読み込みとそれについての議論が中心になるのですが、研究発表をする機会もあります。ただしその場合でも、卒業論文や修士論文といった、それ以前から取り組んでいる自分の研究の発表になります。
つまり、徹底的に取り組んだ一つのテーマを発表することが日本で求められるアウトプットです。
しかしドイツの大学でのゼミでのプレゼンやゼミ論文のテーマは卒業論文や修士論文と同じではありません。その演習でのテーマに沿って独自のテーマを選び、それについて発表することになります。そのため、発表は演習ごとにゼロから準備しなければなりません。これはゼミ論文でのテーマ選びでも同様です。
ゼミごとに自分の知らないテーマについて発表したり、ゼミ論文を書いたりするのですから、その負担はかなりのものになります。
卒業するまでに、こうした発表・ゼミ論文執筆を十数回行うことになります。つまり、在学中に異なった十数個のテーマについて取り組むということです。
確かにドイツでも、卒業論文や修士論文の構想を発表する機会もコロキウムという形で存在しますが、私の場合、コロキウムでの発表は単位と結びつかなかったため修士論文は指導教員との一対一の対話の中で書き上げていきました。
このようにゼミごとに全く新しいテーマに取り組むため、(強制的ではありますが)知らないテーマでもすぐにリサーチを行うためのコツが掴めるようになります。
他の学生との関係
最後に挙げる日独の相違は、学生の間での人間関係に関するものです。
日本ではゼミの後に飲み会に行ったりし、そうした機会から学生同士で親しくなる機会もありますが、ドイツでは一人の学生が参加するゼミの数も多く、ゼミが終わり次第そのまま解散することが普通です。ゼミの後にも次に授業があるので、解散は当たり前です。
そのためゼミ生同士で知り合う機会はほとんどなく、あるとすればたまたま隣に座った人と会話を交わすときぐらいです。また複数人で共同発表をする場合、共同発表者と一緒に発表準備をする必要があるため、親しくなる機会もあります。
ドイツでは、「〇〇研究室」や「〇〇ゼミ」というような繋がりの強い集団がないため、人間関係はドライになりがちです。よく見かける人はいても、それ以上の関係になることはあまりありません。
「違い」≠「良し悪し」
以上、授業に関係する日独の違いを述べてきました。
ドイツに留学すると、こうした違いに戸惑うこともあるでしょう。
私がドイツの大学院で初めて授業に参加した時には、緊張でガチガチだったことを思い出します。全く知らない大学、全く知らない授業システム、全く知らない人たち。「未知」にあふれたこうした環境で、教室に向かう足が重かったことは、今でもまざまざと思い出します。
そして、講師の話すドイツ語があまり聞き取れないまま、要求されるアウトプットの多さに圧倒されました。しかし、こうしたこともいつか慣れていきました。
初めて体験することが多かった分、吸収できることもたくさんありました。こうした生々しい体験については以下の記事で詳しく書いておりますので併せてご覧下さい。
日本とドイツのどちらが「良い」のかという問い自体は無意味でしょう。ただそこに「違い」があるのは事実です。重要なことは、どちらのシステムのほうが自分に「合っている」のかということではないでしょうか。
関連する記事
*1:前提条件
本記事を読むにあたり以下の2つの注意事項を挙げておきます。
・何と何を比較するのか?
1つ目は、対象間の比較可能性の問題です。
私は学士課程では法学部に在籍していましたが、他学部聴講という制度を利用して西洋史の授業も多く受けていました。ドイツでは歴史学科を卒業しています。学科間の違いがなるべく出ないようにするため、
- 日本:西洋史の授業
- ドイツ:歴史学科の授業
を比較していきます。
また、ドイツでは修士課程も学士課程と同じ教育体制です。ドイツでは、日本のような学士と修士学生の区別はほとんどありません。どちらの学生ともほぼ同じ授業に出席し、似たような課題をこなしていきます。そのため、学士と修士であってもそれぞれの課程は比較可能だと考えております。
・個人的体験に基づいた考察であること
2つ目は、一般化の限界です。
以下の考察はすべて私の個人的体験にのみ基いており、日本とドイツのすべての大学、すべての学部で普遍的にあてはまるというわけではありません。あくまで一例として読んでいただければ幸いです。
*2:Prüfungsordnung