元コンサルタントな歴史家―ドイツから見た日本

ドイツの大学で歴史を研究する伊藤智央のブログ。ドイツと日本に関する批判的な評論を中心に海外生活(留学や移住)の実態をお伝えしています。その際には元戦略コンサルタントとしての経験も踏まえてわかり易くお伝えできればと思います

博士号だけではドイツの大学で生き残れない!?教授資格論文とは?

日本では、博士号を取得すれば任期のないポストに就くための資格が揃ったことになります*1。そのため博士号の後は、助教→講師→准教授→教授と昇進していくか、少なくとも、安定したポジションに留まることができます。しかしドイツでは、基本的には、博士号だけでは、安定したポジションには付けません。

博士号だけでは足らないということです。

では博士号を取った後にどうやってドイツで生き残るためには何が必要なのでしょうか?

以下では人文系に焦点を絞って説明していきたいと思います。

ハビリタチオン

教授になるまで安定はない

基本的には教授資格論文を書いて教授資格を得るしか道はありません。

というのもドイツでは、教授*2のみが、ほぼ唯一の、任期なしのポジションだからです。確かに学術常任講師(Akadamischer Rat)や近年導入されたユニア・プロフェッサー(Junior Professor)というポジションには博士号だけで就けるのですが、これらも常に任期なしとは限りませんし、数がかなり少なくほぼ例外的ともいえるからです。

ですので基本は、教授職以外に安定したポジションはありません。

教授資格とは何なのか?

教授資格論文

しかし教授職に就くためには、教授資格論文(Habilitationsschrift)をもとに、教授資格審査(Habilitation)を受けて合格して、申請した科目における教授資格(facultas docendi)*3を得る必要があります。

では、教授資格論文とはどのようなものなのでしょうか?

教授資格審査に関する規定は所属先の大学ごとに違ってくるのですが、教授資格論文は、博士論文とは異なるテーマで書くことが要求されます。これまでの土地勘が聞かないところで、ゼロから始めないといけないということです。

なぜ、博論とは違うテーマで審査を受けるのか?

それは、素晴らしい博士論文を書いたとしても、それが史料状況や、自分とテーマとの親和性による偶然の代物ではないことを証明できるか、つまり、今後もテーマに関係なく、質の高い成果物を出せるという研究者としての成果が教授資格審査のポイントになっているからです。それは博士論文で見せた研究能力の再現可能性を証明することでもあります。

そのため具体的には、扱う時代を大幅に変えたり、新しい方法論に挑戦したり、研究対象を変えたり(例えば、女性史から、政党史への転換)することになります。ある人の例だと、ドイツの中世史を博士論文で扱い、教授資格論文では戦後のドイツを扱っていました。近代史であれば、最低50年ほどは対象とする時代を変えます。

人によっては修士論文のテーマを膨らませて博士論文を書いた人もいるでしょう。そうした人は、5~10年ほど同じテーマに取り組んできたことになります。その場合、急に違うテーマに取り組めといわれても、心理的にも慣れ親しんだテーマと別れるのは簡単ではありません。

ただこうした身軽さが、教授資格を取れるかどうかの一つの分け目となります。

加えて内容的には、「当該学科全体に影響を与える」成果をださないといけません。つまり、細分化されたテーマを中心に据えるのではなく、研究結果のインパクトが広くないといけないということです。

例えば、ドイツ史という科目へ広く影響を与えるような研究成果を得るために、扱う時代的範囲をひろげてみる-例えば1世紀分を扱う-という風にです。

また要求される分量は、単著レベル、つまり博士論文と同じ分量となります。

教授資格に匹敵する/同等の業績

教授職に就くためのもう一つの方法は、「教授資格に匹敵する/同等の業績」を出しておくことです。「教授資格に匹敵する/同等の業績」とは、雑誌論文等をまとめると上記の教授資格論文と同等になるような業績のことを指します。もう一つは、ユニア・プロフェッサー(Jun.-Prof.)を6年勤めあげることでこの業績を証明することができます。

ただ、自分の分野で在職中の教授の経歴を見ても、「教授資格に匹敵する/同等の業績」で教授職に就いている人は皆無です*4。そのため、教授資格論文を提出して、教授資格を取ることが必須であることは明らかです。

教授資格論文博士が博論よりも困難となる理由 

教授資格論文への要件だけでもその執筆が難しいのですが、教授資格論文が博士論文よりもさらに難しくなる外部条件がさらに2つあります。

①他の業務との兼ね合い

1つ目は、他の業務との兼ね合いです。

通常、博士号取得後は大学で(任期付きの)職を得ているので、教授資格論文の執筆は通常業務(プロジェクト業務・授業・事務作業)をこなしながらの平行作業となります。

こうしたポジションを維持・獲得しておくために、競争資金を獲得したりすることも必須で、こうした経験は、教授ポストへ応募する際に重視されるポイントともなります。

つまり余暇の間に、自分のプロジェクトを進めることになります。

こうしたことから、教授資格論文の執筆に使える時間は多く残っていません。しかし、大学の授業準備で新たに勉強することも多いため、教授資格論文との相乗的効果が得られ、教授資格論文執筆とうまく組み合わせられれば、自分の研究を大きく前進させることができます。とりわけ、博士号取り立ての新人は、新入生向けのゼミを担当することが多いため、研究の基本を扱いますので、今までの自分の研究スタイルを振り返るには格好の機会でしょう。

②平行して新しいテーマを複数開拓する必要

もう一つは、博士論文とも教授資格論文とも異なるテーマでも論文を複数残しておくことが必要になるということです。

というのも教授資格審査を申請する際、博士論文や教授資格論文とは異なるテーマで、3つの講演テーマを提案し、審査委員会がその中から一つを選び、その選ばれたテーマで講演をしなければならないからです*5

それは、教授資格審査の趣旨が上に述べたように、テーマと関係なく業績を挙げられるということを証明することだからです。

つまり、博士号取得以後は、3・4個の全く新しいテーマを開拓していく必要があるということです。これは単なる「いじめ」(Schikane)のようにも見えますが、この試練をこなしていくことで自分の守備範囲を広げておくことにもなり、種まきのようなものなので、後々に、自分の幅が広がります。

長期的には、大切な作業です。

一言で言うと博士課程の時よりも、教授資格論文執筆のために使える時間が圧倒的に少なくなるということです。

しかし次に述べるように、この教授資格論文は、ただ単に執筆自体が難しいというではありません。プライベートでも大変な時期となります。

中間職(Mittelbau)の苦しさ

博士号を取ってから、教授になるまでのポジションをドイツでは「中間職」といいます。ポスドクよりも広い概念です。

何度も繰り返しますが、教授のみが任期なしのポストです。つまり、大学で学術活動に従事する教員のうち教授以外のすべてのポストが「中間職」にあたります。常勤で学術活動を行う職員の5分の1でしかありません*6

この「中間職」は、その雇用条件の不安定さから、学者人生の中でもっとも苦しい時期です。というのもこの時期は、家族への負担が最もかかる時期だからです。その要因は2つあります。

①1都市、1大学

ドイツの総合大学は、基本「1都市、1大学」です。つまり、自分が住んでいる(一つしかない!)大学とは違う大学でたまたまポストを得、パートナーが地元で仕事している場合、任期付きのポストを得た自分が、片道何時間もかけて通ったり、平日は職場の街で止まり、週末だけ自宅に帰るということになります。

任期付きであるため、自分の仕事のために、家族と一緒に引っ越しのはリスクが高すぎるからです。

日本だと東京に何十も総合大学があり、また他の大都市にも複数の大学があるので、家族みんなが同じ都市で生活することができます。つまり家族の生活圏が一致しているためバラバラに生活ということも少ないでしょう。

加えてこの中間職に就く人の多くは30代で、ちょうど家族を持ち始める時期の当ります。週末しか帰ってこず、さらに次に述べるプレッシャーから、土日の区別もなく、休暇もなく働く結果、家族の我慢の限界に達して離婚する話も聞きます。

しかも、ほとんどの大学には内規があり、内部昇進が原則禁止されています。つまり、今勤めている大学で、教授に昇進は出来ないということです。*7これは、内部昇進だと色眼鏡をつけて評価し、依怙贔屓が発生してしまい、公正さが担保できないからです。

この制度も、教授就任前に、家族と一緒に、職場のある町に引っ越さない理由です。教授になればいずれにせよ、再度引っ越ししなければならないからです。

②任期付き雇用期間の制限

ドイツには「学術機関での期間(雇用)契約に関する法」(Wissenschaftszeitvertragsgesetz)という法律があり、これによると任期付きポストにいられる年限、つまり「中間職」に留まれる年限に制限が付けられています。

この法によると、博士号取得までにかかった年数を12から引いた年間」を超えて「中間職」*8に留まることはできません*9。いわゆる雇止めです。

ちょっとわかりにくく誤解も多いので具体例で説明します。

例えば、博士号に5年かかったとすると博士号をとってから7年以内*10に、任期なしのポスト、つまり教授につかないと、その後は、ドイツのどの大学でも職に就けないのです。学術界追放ともいえます。

博士号まで6年かかったとすると、この期間は6年に減少します。

この法の背後にある論理は、「与えられた年数で教授になれないのであれば、大学で学術活動を行う適正はない。だからポストを専有せず、早く後進に道を譲れ」というものです。理系で、産業界で需要の科目を専攻していれば30代後半・40代前半でも転職が可能ですが、人文系では、失業へまっしぐらです。そのためみんな必死になるのです。

しかも教授資格をとってもポストに空きがない事には教授になれないので、待ち時間を考えると博士号をとってから4・5年で教授資格を取らないといけないことになります。

マックス・ヴェーバーの時代から変わらないドイツ

ということでドイツの大学事情を紹介してきましたが、ドイツから見ると、少なくとも雇用という点では、日本は恵まれているように見えます。

上には述べませんでしたが、ドイツの大学での教授ポストの数がかなり少ないことは、大学の数にも起因しています。

日本全国では大学は786校(令和元年5月1日現在)*11ありますが、ドイツでは394校となっています。つまり半分です。しかもその70%近く*12を占める単科大学には通常、人文学系学科を教養科目としても併設していません。そのため、人文系のポストがあるのは106校しかない総合大学だけです。*13

こうした問題の本質は、すでに1919年にマックス・ヴェーバーによって『職業としての学問』の中で描かれているのですが、問題の具体的な姿かたちが変えようとも、100年近くたった今でも本質は変わっていません。

ということで日本は日本で問題も山積していますが、あくまで海外の一例として参考にしていただければ幸いです。

関連する記事

*1:学科によっては博士号なしでも任期制限のないポストにも就けます。例えば東大法学部では学部を卒業した後、助手に採用されて、助手論文提出後、東大や他大の講師や准教授になる道があります

*2:W2もしくはW3教授

*3:この教授資格を持っていれば、在籍している大学での教授権(venia legendi)、つまり講義を行う権利を得ます。この権利を持っている人は私講師(Privat Dozent)としてP. D.という称号を得られます

*4:テニュア・トラックのユニア・プロフェッサー(Jun.-Prof.)から教授に昇進した人を除く

*5:個々の大学で違いがありますので、ここで挙げたのはあくまで私の大学での例です。

*6:ドイツ全国で約19万の常勤講師に対して教授は5万人 https://www.hrk.de/fileadmin/redaktion/hrk/02-Dokumente/02-06-Hochschulsystem/Statistik/2019-05-16_Final_fuer_Homepage_2019_D.pdf アクセス日:2019年12月20日

*7:例外あり

*8:外部資金によるプロジェクトの場合は条件を満たせば上限年数を超えていたとしても、ポスト獲得可能

*9:計算の仕方については以下を参照

アクセス日:2019年12月20日

*10:子どもがいると、一人ごとに2年追加

*11:https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/kouritsu/index.htm アクセス日:2019年12月20日

*12:273校

*13:https://www.hrk.de/fileadmin/redaktion/hrk/02-Dokumente/02-06-Hochschulsystem/Statistik/2019-05-16_Final_fuer_Homepage_2019_D.pdf アクセス日:2019年12月20日