元コンサルタントな歴史家―ドイツから見た日本

ドイツの大学で歴史を研究する伊藤智央のブログ。ドイツと日本に関する批判的な評論を中心に海外生活(留学や移住)の実態をお伝えしています。その際には元戦略コンサルタントとしての経験も踏まえてわかり易くお伝えできればと思います

ドイツの大学院でコンピュータサイエンスを学ぶー文系卒会社員から理転して修士号を取得するまで

さて今回は、理転されて、かつドイツで修士号を修められたnanakoさんにご寄稿願いました。現在は大学院を修了し、次のステップに踏み出されようとしているところですので、ついこないだまでの体験を記事にしていただいております。そのため、かなり新鮮な体験記となっています。

読むだけでnanakoさんの体験を追体験できますので、苦労も緊張も成長も喜びも含めて、留学気分に浸れます。ぜひとも楽しんでみて下さい。

----------------以下、寄稿文----------------

はじめまして、nanako(@__nanakom)です。

私は2017年10月からドイツ・ダルムシュタット工科大学(Technische Universität Darmstadt, TU Darmstadt)のコンピュータサイエンス(以下、CS)修士課程に在籍しています。

つい先日、修士論文の成績が確定し、ようやく全ての課程が修了したところです。今回の寄稿ではこれまでの大学院生活を振り返り、個人的な体験を書き残しておきたいと思います。ドイツの大学院に進学を考えている方や現在在学中の方、あるいはキャリアチェンジを考えている方にとって、少しでも参考になるところがあれば幸いです。

I ドイツに行くまで

1. 新卒就職とキャリアの悩み

ドイツの大学院の話をする前に、まずは私の来歴となぜドイツの大学院に進むことにしたのかを紹介させてください。

日本の大学の文学部を卒業した私は新卒で国内のIT系企業に就職し、バックオフィス系の仕事をしていました。組織の都合で、新卒採用から予算管理、販売促進やプロジェクト運営まで、担当した業務は多岐に渡りましたが、いわゆる文系総合職にありがちな悩みで、求められた仕事に取り組んでいるだけでは何年経ってもこれといって何もできない人のままになるのではないか、このまま漫然と働き続けていていいのか、ずっと不安に思っていました。

2. 独学でITの勉強を始める

状況を打開するため、転職するにせよ現職に留まるにせよ、この業界で働き続けるのであれば最低限ITのことを知っておくべきではないかと考え、時間外や休日を使って独学で勉強を始めました。何から手をつけていいかわからなかったので、まずは資格かと思っては基本・応用情報技術者試験の資格を取ってみたり、LinuxというOSが業務システムで使用されていると知ってはそれをインストールしてみたりしました。幸いなことに同僚には優秀なITエンジニアが山ほどいたため、わからないことがあればいくらでも質問をできる環境にありました。

しかし先立つものがない状況ではモチベーションを保つのは難しく、また、残業や休日出勤などがある中で勉強時間を確保することにも限界を感じていました。同じ頃、当時ドイツで働いていた現在の夫と結婚することになり、今後どうするか選択をしなければならない時期に来ていました。

せっかく新卒で入った会社を辞めたくない気持ちが強かったのですが、夫が今後も海外でキャリアを積むことを希望していたため、私がドイツに行くことで話が進みました。ただ、ドイツは日本と違い、大学の専攻が職業に直結します。

ドイツで職を得るためには、ドイツ語をビジネスレベルまで習得して現職の経験を活かせる仕事を探すか、あるいは、学位を取り直してその専攻に関係する仕事(できれば英語可)を探す、という大まかに2つの選択肢がありましたが、悩んだ挙句、後者を選びました。

まず、私は外国語学習が非常に不得手で、英語ですらままならないのに1-2年でドイツ語をビジネスレベルにするなど、とても現実的なプランとは思えませんでした。さらに、夫がドイツ以外の国に転職する可能性もあったため、語学力が要の仕事に就くのであれば、その都度新しい言語を上級レベルにしなければなりません。そもそも言語が出来るというのは現地の人にとっては大前提であり、特化した専門技能が求められない業務で他の候補者より自分に秀でている点があるかというと、厳しいのではないかと思いました。ITエンジニアであれば非英語圏であっても英語での求人が一定数あること、また、独学とはいえ多少は馴染みのある分野であったことから、コンピュータサイエンスの学位取得を目指すことにしました。

とはいうものの、文学部を卒業して、働き始めて結構な年数が経ってから、大学に戻って一転、理系の学位を取ったなどという話は(少なくとも自分の周りでは)聞いたこともありませんでした。いったいそんなことができるのか疑問でしたが、いくら考えてもそれより妥当なプランが思いつかず、やるしかないという気持ちで挑戦してみることにしたのです。

3. 退職して日本の大学(学部)へ

ドイツのCS修士課程への入学にはCSまたは同系列の学士号が必須であったため、いきなり修士課程から始めることはできませんでした。一方、学部の場合は大学院と異なり、英語のみで卒業できるプログラムを開講している大学は非常に限られていました。

検討した結果、学士入学制度(既に学士号を持つ人が2年間専門課程を学ぶことで他学部の学士を取得できる制度)を利用して、ドイツではなくまず日本で2年間かけてCS相当の学士を取り、その後ドイツの修士課程に進むことを目標にしました。

30歳を目前にして退職してフルタイム学生になり、ときに年齢が10個も下の学生たちに混ざって講義を受けました。基礎から始めつつも2年間で学部4年相当のレベルに追いつき、卒業論文も書かないといけないので、できるだけ多くの単位を履修しながら、国際学会でのワークショップ/ポスター発表、開発者コミュニティの国際カンファレンスでの発表など、外に示せる業績を積み上げることを意識しました。学士入学した先の研究室のファカルティや学生の方々には本当によくしてもらい、そこでなかったら私のような珍妙な経歴の人間が快適に過ごすことは難しかっただろうと思います。

II ドイツに行ってから

4. ドイツ大学院への出願準備

日本で二度目の大学を卒業した後はドイツに移り、学生扱いのインターンとして企業で働きつつ、冬学期からの入学に向けてドイツの大学院に出願しました。(以下、私の受験時のドイツの大学院入試について書きますが、傾向として共通する面はあるものの、大学および年度によっても入試要件は異なるため、出願予定の方は必ず大学の公式情報を参照してください。)

ドイツの大学院は多くの場合、書類審査で入学が決まります。特に「修士課程で前提となる内容を学部で履修しているか」という部分が審査の主な対象となります。学部の成績表とシラバスを提出することによって、学部課程のなかで特定の科目をすでに履修しており出願先の大学の入学要件を満たしていることを証明します。

こうした事情のため、ドイツの大学院への出願を考えているのであれば、出願先で入学時に必要とされている科目を予め確認し、それに向けて学部在学中に単位をもれなく取得しておくことが大事です。出願先が求める科目が所属する学部・学科の必修科目にない場合、例えば当該科目が他学部で開講されているのであれば(卒業単位にはならなくても)必ず履修しておきましょう。語学やGREなどのスコアは卒業してからでも取ることができますが、単位だけは在学中にしか取得できないので、必要な単位は必ず卒業までに揃えておくことが重要です。

CampusTU Darmstadtのキャンパス

ただし必要科目を100%満たしていないと入学できないかといえば、必ずしもそうではありません。入学後2セメスター以内に不足している単位(学部生向けに開講されている授業)を履修することを条件に合格することもあります。入学後に周りに聞いてみると、ドイツ以外の大学出身者の大多数が1-2科目を事後履修するという条件付き入学でした。私も「ソフトウェア工学」の単位が足りていないという判断で条件付き合格になり、最初のセメスターに当該科目の口頭試験を受けました。一方で、あまりに出願先の必要科目と学部での取得科目に解離があって、「必要な条件を満たしていない」という判断で不合格になったプログラムもありました。

そのほかの要件として、語学レベルがあります。ドイツ語プログラムであればドイツ語の、英語プログラムであればIELTSなどの英語テストのスコアが必要です。私の出願先ではIELTS overall 6.5が必要でした。英語圏の大学に比べると若干低めの水準ですが、英語が苦手な私のような人間にとってはそれなりの準備が必要です。

米国大学院の出願において推薦状はほぼ必須だと思いますが、ドイツではあまり一般的ではないようです。私が出願した3大学4プログラム中で推薦状が必要なのは1プログラムのみでした。縁あって著名な先生の推薦状を貰うことができましたが、必要科目が足りていないという判断であっさり落ちたので(その修士プログラムはCSの中でも応用数学に近い分野だったため数学系の科目が不足と見做された)、推薦状よりも学部での科目履修状況の方が重要であるような気がします。進学先のダルムシュタット工科大学では推薦状は不要でした。

GREは出願した範囲では必要ありませんでしたが、同じ大学の同じプログラムへの出願でも特定の国の大学出身者に対してはGREのスコアが求められる場合もありました。なお、特に要件にはなっていないものの、必要な時に参照できるよう、卒論はできるだけ英語で書いておいた方がいいと思います。

5. 合格通知から入学まで

私が進学したのはダルムシュタット工科大学という、フランクフルト近郊の都市ダルムシュタット(Darmstadt)にある工科大学です。日本ではあまり馴染みのない街だと思いますが、工科大学の他にも専門大学(Hochschule)やフラウンホーファー研究所などの研究機関がある学術都市で、大手医薬品会社メルク(独)の本社があることでも有名です。

Uni大学のメインエントランス

ダルムシュタット工科大学はドイツの「九工科大学」(TU9)と呼ばれる工科大学連合のうちの一つで、特に機械工学分野で高い評価を受けていますが、CSにおいてもCSRankingのヨーロッパ地域*1において、ドイツ勢では2位のマックスプランク研究所、9位のミュンヘン工科大(TU Munich)に次いで10位に付けており、ヨーロッパ/ドイツにおけるCS分野のトップ大学のうちの一つです。

cs_building大学に隣接する公園。左の白い建物がコンピュータサイエンス学科が入居している棟

9月または10月に始まる冬学期入学に向けて、4月から7月の間に出願を行いました。(大学によっては、あるいはドイツ国外からの応募の場合は、これより前の1月から3月の間に出願の締め切りが設定されていることもあります。)

ダルムシュタット工科大学以外の出願先からは締切日から1ヶ月程度で早々に合否の連絡が来ていましたが、ダルムシュタット工科大学からは9月になっても何の音沙汰もありませんでした。しびれを切らして、「いったいどういうステータスなのか教えてほしい」と大学にメールしたところ、「あなたは合格しているので入学手続きをしてオリエンテーションに来てください」と返信がありました。

しかし、そのメールには手続きの方法も何も書いておらず、どうすればいいのか尋ねても(返事がないので2回送ったにも関わらず)返信はなし。出願ポータルのステータスも未だ「審査中」。そのうち正式なオファーレターが送られて来るのだろうと待っていましたが、1週間経っても何もなく、大学に直接電話(10回かけてようやく繋がった)してみたところ、発送されているはずのオファーレターが届いていないことが判明。「今週中にやるね」と言われましたが、「急いでいるので今すぐやって欲しい」と食い下がったら、翌日までにちゃんとオファーレターの電子版が届きました。

書類をよく見ると入学手続きの締め切りは1週間後に迫っており、大慌てで大学に赴くことになったのでした。正式なレターが家に届いたのは更に1週間後のこと。

電話したのがもう少し遅かったら入学手続き期限を過ぎていたかもしれません。

6. 同期と学習グループ

10月の初旬に3日間のオリエンテーションに出席した後、次の週から講義が始まりました。CS学科には複数の修士プログラムが設置されており、同じCSの枠組みの中でもプログラムによって必修科目が少しずつ異なります。私は英語のみで卒業できるプログラムに所属していました。このプログラム専用に英語の講義が用意されているわけではなく、CS学科では英語で開講されている科目が多くあるので、その中から履修することになります。学科全体から見ると英語プログラムの学生は限られているので、実際の講義の履修者は通常のドイツ語プログラムの学生が大多数でした。

2017年の冬学期に同じプログラムに入学した同期は、私を含めて6名。シリア人女性、シリア人男性、モロッコ人男性、インド人女性、中国人女性、そして日本人女性の私、という構成でした。以前は同プログラムにセメスターあたり100名程度の入学者がいましたが、私が入学する前のセメスターから審査基準を変更し、入学が厳しくなっていました。そんな中でなぜ私が合格したのかよくわかりませんでしたが、書類を見て総合的に判断ということだったので、国際学会での発表実績やドイツに来てからのインターンなどが考慮されたのかもしれません。

人数が少ない分、同期はすぐに仲良くなり、何でも協力し合うようになりました。大学内で、シリア、インド、中国の出身国コミュニティは大きく、知り合いが一人もいない状態で入学した私は、同期の彼らを通じて各コミュニティで共有されている授業や試験などの学生生活に関わる情報にアクセスすることができ、非常に助かりました。

中でも特にシリア人男性の同期とは、30前後で歳が近いことやどちらも社会人経験が長いこと、物事の考え方なども一致するところが多く、すぐに意気投合し、その後の学生生活のなかで最も長い時間一緒に過ごすことになりました。彼は同期の中でも最速の2年と1ヶ月であっという間に修士課程を卒業し、現在はドイツの大手企業でソフトウェアエンジニアとして働いています。

彼と中国人女性の同期、それから授業で知り合った同じプログラムに数期前に入学した友人と4人で科目毎に学習グループを組んでいました。2セメスター目以降は私にとって目新しい内容の科目ばかりだったため、講義を聞いても全然理解できないことがよくありましたが、友人たちと一緒に毎週の課題と試験対策を続けることで、わからない部分をカバーし合うことができました。

library大学の中庭と図書館

また、毎日時間を決めて集合することで勉強のペースを作ることができ、モチベーションを維持するのにもよい効果がありました。とりわけ私にとっては、難しい問題を易々と解く友人が、一体どういう手順でその問題を捉え、理解し、解答を導いているのか、その思考プロセスを側で学ぶことが出来たのは大きな収穫でした。大学の講義の質には満足していましたが、それでも在学中に学んだことの多くは、友人たちと学び、考え、議論した経験からもたらされたものだと思っています。

learnzentrum友人たちといつも利用していたLearnzentrumと呼ばれるグループ学習スペース。試験前は朝から晩までここに詰めていました

7. 大学院のカリキュラム

日本の修士課程との最も大きな違いは、ドイツの修士課程は「研究」よりも「授業」の比重が高いことです。研究らしいことをするのは修士論文を書く時くらいで、日本の大学のように研究室に所属するということはありません。研究をしたい人は博士課程に進学します。

私の所属していたコースでは、卒業単位数が120CP(CP、Credit Point = 単位)となっており、そのうち講義科目が90CP、修士論文が30CPという構成でした。 CPは欧州共通の単位制度で、1CPあたり25-30時間の学習時間(講義時間含む)と定義されています。科目の難易度やコマ数によって異なるCPが与えられており、週1コマの程度の科目で3CP、一般的な講義科目は6-9CPに設定されていました。以下の各モジュール毎に最低取得単位数が定められています。

  1. 分散システム
  2. コンピュータネットワークとシステムソフトウェア
  3. 形式手法/プログラミング言語/ソフトウェア工学
  4. セミナー/プロジェクト/ラボ

講義科目90CPのうち、必ずセミナー科目とプロジェクト又はラボ科目を最低1個ずつ取らなければなりません。この2つは修士論文のためのトレーニングにも相当し、セミナー科目では論文のサーベイとサーベイに基づくショートペーパーの執筆とプレゼンをします。プロジェクト/ラボ科目ではサーベイに加え、何か実装をして動くプログラムを制作し、発表します。

ドイツの大学には「学年」という概念はなく、必要な単位を取り終わったらその時点で卒業になります。逆にいえば必要単位が揃わない限り、何年経っても卒業できません。毎期30CPずつ履修すれば4セメスター(セメスター=半年、4セメスターで2年)で修了できる計算になりますが、2年以内に修了するのは難しく、5セメスター以上かかるのが実情です。10セメスター(5年)程度かけて修了する人も珍しくはありますが、実際にそういう友人もいます。自分から何か働きかけない限り、大学がこちらをケアしてくれることはないので、自分で履修計画を立てて実行していく必要があります。

なお、ドイツでは学費は公費によって賄われているので、基本的に学生の授業料の負担はありません(MBAなどは除く)。州によっては外国人留学生に学費を要求するところもありますが、私の大学のあるヘッセン州では外国人であっても授業料はかかりませんでした。授業料以外の経費として、セメスター毎に登録料として260ユーロ程度を支払いました。これにはセメスターチケットと呼ばれる、州内の公共交通機関(バス、トラム、普通列車)の乗り放題券が含まれています。

mensaキャンパス内の学食(Mensa)にて、ある日の昼食

学部によっては在学中に半年間のインターンをすることが修了要件になっているところもあります。所属プログラムではインターンは必須ではありませんでしたが、就業経験を積むために半年間のインターンをしたり、学生アルバイト(Werkstudent)としてソフトウェア企業で働いている人が多かった印象です。修士を取った後はそのままその会社に就職するケースもよくありました。

8. 過酷な試験と2セメスター目での失敗

ドイツの大学を卒業する困難さの大きな要因はその試験にあります。

ドイツの大学に共通する制度として「同じ科目の試験を3回不合格になったら退学」というルールがあります。3回もチャンスがあったら受かるだろうと思われるかもしれませんが、試験の不合格率が3割を超えることも珍しくありません。各科目毎に毎週大量の課題が出ますが、課題の評価はあくまで試験に合格した際の上乗せでしかなく、単位が取れるかどうかは原則試験一発勝負で決まります。同じ科目の講義は夏または冬学期のどちらかしか開講されませんが、試験は毎学期末に行われ、必ずしも講義を受けた学期末に受ける必要はありません。例えば講義を夏学期に受けて、試験は次の冬学期末に受けることも可能です。

試験前は毎度緊張し、言うなれば大学入試と同じくらいのプレッシャーを感じていました。試験開始の1時間前から会場付近の廊下に待機、震える手でページをめくりながら入室直前までノートに目を通していました。あくまで私のケースですが、毎講義に出席してノートを取り、授業の後フォローアップの復習をし、毎週課題をこなした上で、試験前10日間はその科目「のみ」を朝から晩まで勉強して、ようやくギリギリ試験を通過できるかどうかという負荷でした。

note(左)紙一枚持ち込み可の試験のためのチートシート。0.3ミリのペンで情報を詰め込む。(右)講義中はiPadでメモを取っていましたが、情報の整理や試験対策で紙のノートも大活躍

1セメスター目(2017年10月から2018年3月まで)はまだ生活や試験に不慣れなので、前提知識に自信のあった科目のみ数を絞って履修しました。外国に住むことも初めてで、英語で行われる授業の内容もろくに聞き取れず、目の前のことをこなすだけで精一杯でした。奇跡的に、最初のセメスターはぎりぎりの点数で全単位を取得できました。

ところが2セメスター目(2018年4月から2018年9月まで)にあたる夏学期に、非常に重要な科目を2つも落とすことになります。1つは私にとっては新しい内容の科目で、結構な時間をかけて準備をして試験に臨んだものの、不合格でした。もう一方は逆に自信があった科目で、学習グループを組んでいる友達に私が教える方の立場だったにも関わらず、私以外全員パスして私だけが落ちました。

この結果は履修計画にも大きな影響を与えましたが、何より試験を受けることが恐ろしくなり、もともとなかった自信をますます喪失しました。試験結果を見たときの「もう修士を続けられないかもしれない」というショックは今でも忘れられません。
しかし同時にこの失敗から、いくつかの重要なことを学びました。まず、試験をパスするためには、ただ闇雲に勉強するだけでなく、様々な方面からの「試験対策」をしなければならないということです。それには例えば、試験日程が詰まっているようであれば次の学期に受験を延期することや、友達のネットワークを使って過去問の情報を入手し、どういった問題が出るのか想定しておくこと、外国語で速くかつ的確な解答を書くトレーニングをすることなどが含まれます。

2セメスター目は夏学期でしたが、夏学期はクリスマス休暇を挟まない分、学期開始から試験が始まるまでの期間が短く、冬学期のように休暇を費やして途中で遅れを挽回する時間がありません。冬学期は試験日程が2月から4月の間に分散して設定されることが多いのに対し、夏学期はバケーション前の7月に日程が集中する傾向があります。2セメスター目は振り返ると、1科目を除き全ての試験とセミナー科目の最終発表が7月に集中し、スケジュールが明らかに過密でした。そして、不合格だった2科目のうちの1科目については、アウトプットする訓練の不足、特に英語で速く的確に回答するスキルが不足していることが不合格の要因と考えました。

2セメスター目の失敗で大きな精神的ダメージを負いましたが、試験の不合格を経験したことにより、逆にどうしたら落第を避けられるのかが見えてきました。3セメスター目(2018年10月から2019年3月まで)に当たる次の冬学期では、プロジェクト科目を進めつつ、新規試験5科目に加え、2セメスター目で不合格になった2科目の再受験を全てパスし、かつ半数以上で1.0から2.0の成績(ドイツでは1.0が最上位、0.3-0.4刻みで4.0までがpass。5.0がfail)を修めることができました。再試2科目のうちの1科目では、その学期の受験者内トップの成績を取ることができ、その結果、教授から声をかけられ、授業の学生アシスタント(Student Assistant)として雇ってもらうことになりました。のちにその研究室で修論テーマと指導教官を見つけて修士論文を書くことになったので、人間万事塞翁が馬とはよく言ったものだと思いました。

4セメスター目(2019年4月から2019年9月まで)は残り僅かとなった講義科目を履修しつつ、主に修士論文の準備をしていました。

5セメスター目(2019年10月から2020年3月まで)の開始直後に修士論文の本登録をし、6セメスター目(2020年4月から2020年 9月まで)にあたる今期、修士論文を提出して無事卒業となりました。

Wine
Markt

キャンパスすぐ近くの広場で開かれるクリスマスマーケット。毎年友人たちと訪れるのが恒例行事に

9. 学生アシスタントについて

4セメスター目は修士論文のテーマ選定と検証を主に行っていましたが、学生アシスタントとして働いたのもこのセメスターでした。

授業に関する受講者からの質疑対応、毎週の課題の採点が主な仕事でした。私を含め修士の学生アシスタントは3名いましたが、100名以上の課題を採点するのは思った以上に大変でした。処理する枚数が多いだけではなく、採点結果の公開と同時に抗議や質問のメールがたくさん寄せられるため、それに応える必要がありました。教室で課題の解説をするのは博士課程のTeaching Assistant(TA)の担当でしたが、たまに私たち学生アシスタントにもその役目が周ってきて、教壇で話す経験もしました。また、期末試験の受験者数も100名を超えたため、教授の研究室のメンバー全員と私たち学生アシスタントまで採点に召集されました。

採点者側になってわかったことは、字はめちゃくちゃ汚くても構わないということと、試験レビュー(Exam Review)には絶対に行くべきということです。

ドイツでは試験結果の発表後に、試験レビューという採点された自分の答案を閲覧する機会が設けられ、採点に対して異議を唱えることができます。択一問題でもない限り、採点に迷うグレーな解答というのはいくらでもあります。私がある曖昧な答案について正解とするか迷い、TAに相談したところ「とりあえずこの採点でいいよ。認識が違うようならレビューで本人が言ってくるでしょう。抗議があったら考え直そう」と言われたのです。また、採点の際、検算やダブルチェックは行われていませんでした。もし採点者が合計点を間違えていたら、そのままです。それゆえ、試験レビューで採点の足し算のミスを発見し成績が上がった、なんてことはよくあります。これは友人の身に起きたことですが、ある試験で不合格という結果が通知され、レビューに行ってみたら、あるセクションの点数が丸ごと合計点から抜け落ちていて、実際には合格だったということもありました。

このように、採点者は試験レビューを含めて採点が完了するという意識でいるのです。レビューは試験と同じくらい大切と思って出席し、少しでも議論の余地があれば声を上げてみることをおすすめします。

10.修士論文を書くまで

講義科目を90CP取得できる目処がたったら、最後に修士論文に取りかかります。修士論文を書くためには

  • 1) 論文のテーマと指導教官の決定
  • 2) テーマの検証
  • 3) 単位の本登録

というプロセスを辿ります。3)の本登録後は、登録日から6ヶ月以内に論文を提出しなければなりません。修士論文の単位は30CPで6ヶ月という期間に設定されていますが、それはあくまで3)の登録開始からの期間であって、実際には1)および2)のステップを含めると、多くの場合+3ヶ月程度を要します。私の場合、

  • 1)に約2ヶ月
  • 2)に3ヶ月
  • 3)は新型コロナの影響で1ヶ月半ほど延長になったため7ヶ月半

というように、研究テーマを探し始めた段階から数えると提出までおおよそ1年かかりました。

修士論文には大きく分けて2つの執筆形態があります。

  • 学内でテーマと指導者を探す場合と、
  • 外部(企業や他大学)で修論を書く場合

です。

ドイツには「修論インターン」という制度があり、企業で修士論文の指導を受けることができます。企業で修士論文を書くメリットとしては、

  • 修士論文を書きながらフルタイムの給料がもらえること、
  • うまくいけばその企業に就職できる可能性があること

などがあります。

一方、企業で修論を書く場合でも、必ず大学の教授に共同メンターになってもらう必要があるのですが、その役目を引き受けたがる人があまりおらず、特にうちの大学では修論インターンは推奨されていませんでした。(修論インターンの名目にもかかわらず、学生にプロダクトの開発ばかりやらせるなど、トラブルが発生した過去があるため)それでも実際に近隣のソフトウェア企業のSAPや自動車部品メーカーのコンチネンタルなどの企業で修論を書いていた友人もいました。

一般的には学内でテーマと指導教官を探します。修士論文の直接の指導者は原則、ポスドクまたは博士課程の学生です。ドイツの博士学生は大学から給料が支払われているので、修論指導も彼らの仕事の一環です。教授および准教授などのファカルティとは登録時の面談、中間・最終発表で数回顔を合わせるくらいです。テーマと指導教官の探し方ですが、

  • 公募されているテーマの中から探す方法と、
  • 指導教官と相談してテーマを決める方法

があります。

まず公募を見て申し込む場合ですが、これは各研究室が手持ちの修論テーマをwebや大学の廊下に掲示しているので、その中から興味のあるトピックを選び、担当者に連絡をします。その際、当該テーマを進めるにあたって必要なスキルを有しているか確認されます。課題やテストが与えられたり、そのテーマを選んだ場合の指導教官と面談をしたりします。合格すればそのテーマに取り組むことができますが、不合格の場合はまた別のテーマに応募しなければなりません。修論のテーマ・指導教官探しは就職活動のようなものです。正面から公募で申し込む方法は難しいことが多く、なぜなら掲示してあるテーマの中に自分の興味やスキルにマッチするものがなかったり、また掲示されている情報が古かったりするためです。

そのため、修論を始めるより前から、めぼしい研究トピックがある研究室の人とコネクションを作っておくことが大切になります。よくあるのが、セミナー・プロジェクト/ラボ科目で指導教官となってくれた人に修論の指導教官になってもらうパターンです。これらの科目で好成績を残せれば向こうから修論のオファーをくれることもありますし、セミナーまたはプロジェクト/ラボ科目でやったテーマを拡張したテーマを修論にすることもできます。修論のことを考えると、興味のある分野のセミナーやプロジェクト/ラボ科目を履修するのがいいと思います。

その他の方法として、試験で良い成績を取ることが挙げられます。どの研究室も優秀な学生に来て欲しいので、試験で成績優秀だった場合、教授からHiWiと呼ばれる研究室のアルバイト(授業のアシスタントだったり、研究の補助だったりします)のオファーが来たり、成績上位者をねぎらうため(その実、優秀な学生をスカウトするため)の研究室のお茶会に呼ばれたりします。お茶会ではその研究室に所属するポスドク・博士学生が現在どのような研究をしていて、どのような修論テーマがあるか紹介してくれます。そういった場で顔見知りになって修論の指導をお願いすることができます。

私はセミナー科目を履修したソフトウェアデザインの研究室、プロジェクト科目でお世話になったプログラミング言語の研究室、それから学生アシスタントをやっていたネットワークセキュリティの研究室をそれぞれ訪問して修論テーマの候補を貰いましたが、難易度や現状のスキルセットを考えて、ネットワークセキュリティに関するトピックを選びました。

修論本登録後は、週に1度、指導教官と進捗に関する面談がありました。同じ学習グループの友人たちもほぼ同時に修士論文を書き始めたので、毎朝9時に大学で待ち合わせ、それぞれ黙々と修論に取り組み、夕方5時に解散するという生活スタイルでした。しかし3月中旬、新型コロナにより、ある日を境に突然キャンパスへの入構が禁止され、その後は一人家で作業を続けることになりました。指導教官との週次のミーティングはオンラインに切り替わり、研究室全体で行われる修論の最終発表もオンラインで開催されました。結局キャンパスに戻らないまま今期で卒業となってしまったのは、仕方のないこととはいえとても残念でした。

III おわりに

これまで書いてきたとおり、私は一度大学を出て働いてからまた大学に戻り、それも文系から理転して学部、修士に進みました。この数年はフルタイム学生として過ごしてきましたが、だからといってつい数年前まで数式を見るだけで固まり、黒い画面を「怖い」などと言っていた私が、ちょっと勉強したくらいで急に何かができるようになるわけはありません。頑張って勉強したことも、試験前はすらすらと解けたはずの問題も、繰り返してその知識を使う機会がなければ、すっかり忘れますし、できなくなります。

それでも、以前はその時点で理解できない内容に対し「これは私にはわからないから」とはじめから思考停止していたのに対し、今では「これまでも最初は理解できなくても、後にわかるようになったことはたくさんあるのだから、時間と労力と適切なサポートがあれば理解できるかもしれない(だからやってみよう)」と思えるようになりました。少なくとも理解しようともしないで考えを放棄することはなくなりました。

勉強していると知識(それも、一時的かもしれません)や経験はある程度増えますが、べつに頭が良くなるわけではないので、努力しても残念ながら、いつまでも理解できなかったり、いくらやっても苦手なままということもあります。その中には、予想外にできて驚くこともあれば、やっぱりできなかったとがっかりすることもあります。いずれにせよ、それは本気で一度取り組んでみないことには、決して見えなかったものです。
ドイツの大学院で追い詰められながら勉強をする中で、おそらく、私は人生ではじめてちゃんと勉強をしたのだと思いますが、勉強というのがこれほどまで自分と向き合い、できることとできないことの境界をひとつひとつ発見していくことによって「自分を知る」行為だとは思ってもみませんでした。数年間を費やして得た学位や知識はもちろん貴重なひとつの成果ではありますが、勉強をするとはどういうことか、わからない問題にぶつかったときにどう向き合えばいいか、そういうことを身を以て知ることができたことが何よりの学びだったと今は思っています。

著者紹介

nanako

Twitter:nanako(@__nanakom

(編集:伊藤智央)

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---以下、寄稿記事---

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ベルリン・フンボルト大学一択だった

フンボルト大学(以下HU)を選んだ理由は2つあります。

まず1つ目は、HUの歴史学修士課程は、学部で異なる専攻の学位を修めていても入学することが可能だったからです。ドイツの大学は学部と修士の繋がりが強く、殆どの場合、学部と同じ専攻で修士課程を始めなければなりません。HUは「学部で人文科学を専攻していた者」という募集条件でしたので、独文学士の私も応募資格を満たすことができました。ただ、歴史学がどんな学問であるかも理解していなかったため、大学院で、しかも外国語で歴史学について一から学ぶのはとても大変でした。はじめの学期は何がなんだかわからないまま終わってしまった気がします。

また、ベルリンに住むことはほぼ決定事項でした。学部時代に2回ほど長期休暇を利用して滞在した際、公共交通機関の利便性という点でベルリンが最も生活しやすいと感じたからです。ここにはまだまだ訪れたい博物館もたくさんありますし、さらに、素晴らしいクラシック音楽に触れることができるのも魅力的です。一流のクラシック音楽家のコンサートがあちこちで催され、しかもとても手頃な価格で聴くことができます*1。元音楽科でピアノを専攻していた自分にとって、留学生活でどんな悲しいことが起ころうとも、素晴らしい音楽が補給できれば乗り越えられると思ったのも一つの理由です。実際、日本公演では到底手に入れられないようなウン万円のコンサートのチケットを10ユーロほどで入手して聴きに行き、CDでしかお目にかかったことのない名音楽家のコンサートを楽しむことができます。

そうしているうちに、音楽関係の友人の輪も広がりました。

大学院入学までのドイツ語との付き合い方

大学付属語学コースの入学許可を得るまで

学部ではドイツ文学を専攻していたので、ネイティブの先生のドイツ語授業を受ける機会にも恵まれました。その他は、大学における講読の授業、たまにゲーテの試験に向けて独学し(B1とB2を取得)、長期休暇に二度ほど短期滞在(2,3週間ほど)しながら現地の語学学校に通いました。

現地の語学学校探しについては、一度目は日本の留学斡旋会社を通して見つけましたが、二度目は自分でインターネットで見つけました。留学斡旋会社を通すと2万円弱の手数料が発生しますが、日本からの外国送金の手間*2や、万一の連絡ミスによって生じる不都合(ドイツで事務トラブルは日常茶飯事)を考えると、はじめは手数料を払って仲介してもらうのも良いと思います。

授業料は3週間で550ユーロくらいでした。

一度目は学校が提携している家庭でホームステイをし、二度目は学校の所有するシェアハウスに滞在しました。語学学校に申し込むと、殆どの場合において滞在先も提供してもらえるので、宿探しの心配はありません。費用はホームステイで週250から300ユーロくらい、シェアハウスは週260ユーロくらいでしたでしょうか。ホームステイは朝晩の食事つきです。

学部卒業直前にハイデルベルク大学付属の語学コースの入学許可がおりたので、4月からこちらに入学しました。

語学を学ぶというと、一般の語学学校を想像される方もいらっしゃると思いますが、大学付属の語学コースの利点もたくさんあります。まず、

学生証が配布されて学生扱いになるので、生活面でのコストが抑えられます。例えば公的健康保険に入れたり、学生用の格安定期券を入手できたりできます。また、

大学入学という目的をもった生徒しかいないので、クラスのモチベーションが高く、

大学入学レベルの語学能力を測る試験(以下DSH)に特化した授業を集中的に受けることができるため、効率よく勉強することができます。

もちろん、語学学校に比べて授業料も良心的です。1学期につき1200ユーロほど(加えて300ユーロほどの生協費用と定期代)がかかったと記憶しています。私は4月から試験対策コース(Cクラス)で集中的に勉強して7月に合格(正答率80パーセント)しました。

語学学習は終わりがなく、語学力の底上げは永遠に続きます。今でも毎日論文を読むたびに、知らない単語や表現に出会いますし、ドイツ人ネイティブよりも圧倒的に稚拙なドイツ語でゼミ発表を乗り越え、時にはネイティブですら発狂しそうな複雑な外国語文献を読み、どうしてこんな外国人丸出しの下手なドイツ語でしか表現できないのかと自分にイライラしながら論文を書かなければなりません。また一方で、日常生活で「排水溝に水を流す」といった単純な表現がわからなくてショックします。

大学に入学してから本当の地獄が始まるので、大学入学資格を得るためのドイツ語試験は、ダラダラせずに短期間で終わらせることが大切だと思いました。効率よく大学入学資格を得るためにも、大学付属の語学コースに通ったことはとても良い選択でした。

ハイデルベルク大学付属語学コースでの日々とドイツ語能力試験DSHについて

語学コースは、有名な観光地であるアルテ・ブリュッケ(Alte Brücke)を少し過ぎた、かの有名なマックス・ヴェーバーがハイデルベルク大学で教鞭を執っていた時に住んでいた自宅を改築した建物で行われました。

alte Brücke

DSH試験対策コースは、文法と読解の講師、聴解と作文の講師が交代で授業を担当します。

クラスメイトは、中国、韓国、アルバニア、キプロス、シリア、チリ、スペイン、南アフリカ、チュニジア、カメルーンから来ていました。月曜日から金曜日まで、朝9時から15時までほぼ缶詰になって授業を受けます。読解と文法のクラスでは、講師自作の文法テキストを用いて一通りドイツ語文法を復習し、並行して最終目標であるDSHの過去問をひたすら解きます。聴解と作文のクラスでも、主に過去問を中心に対策が行われます。

大学の語学コースに通わないと過去問が手に入らないため、DSHを受験するつもりであれば、受験を希望する大学の語学コースに入るのが一番無難です。というのも、大学によってDSHの難易度も出題形式も異なるからです。

試験は慣れの部分もありますので、問題の形式と対策を熟知せずにいきなり70%以上の合格率を叩き出すのは厳しいと思います(ほとんどの大学のほとんどの学部はDSH-2、すなわち69%以上の正答率でなければ学部の正規コースに受け入れてくれません)。

読解はA4一枚半くらいにわたるテキストで、Der SpiegelやDie Zeitといった新聞や雑誌から抜粋された文章からできています。ドイツの試験の特徴だと思いますが、与えられた文章を別の言葉で言い替える能力を求められます。選択式の問題はほとんどなく、主に傍線部について自分の言葉で説明しなければならない問題が多く出題されます。

文法問題も主に文章の書き換えが中心です。

作文問題は、60分でA4の紙2枚分ほどの分量を最低限書かなければなりません。問題は2題出され、グラフの描写、哲学的な問い(例えば有名な政治家の演説の引用を読んで幸福について自分の考えを述べるなど)、社会問題(死刑制度の是非など)でした。

聴解は特に大変で、15分から20分ほどのモノローグを2回聴いて記述形式の問題に答えます。1回目はA4の白紙にメモのみ可能で、2回目は問題を配られてから読み上げられます。したがって、この聴解試験は記憶能力かメモ能力のいずれかで勝負する必要があるのですが、記憶を頼りにするにはモノローグが長すぎるので集中力が持たず、メモを頼りにするにはアルファベットを書くスピードが他のヨーロッパ言語話者に比べて圧倒的に遅いので苦労します。この時ほど日本のJETSTREAMのボールペンを重宝したことはありません。

ちなみに、日々の授業態度と模試の点数も、DSHの最終成績に加味されます。

ハイデルベルク大学の語学コースには、語学コース以外にも地理や歴史といった様々なクラスが用意されています。私は大学準備クラスと歴史のクラスを受講しました。歴史クラスの期末試験では、フリードリヒ大王に対する政治家としての後世における評価について記述することが求められました。

語学コースのテキストはハイデルベルク大学の機密情報であるためご紹介できませんが、言い換えの訓練に購入したハンドサイズのDUDENの同義語・類語辞書はとても役に立ちました。

DUDENには広辞苑のような分厚い類語辞書もあるのですが、いかんせん語彙レベルが高すぎるうえ、持ち運びが困難なので、個人的にはあまりお勧めできません。試験勉強を進めていくうちに、頻繁に使用する語彙が見えてくるので、蛍光ペンで印をつけておいて同義語・類語ごと暗記してしまいます。DSH試験くらいであれば、単語の細かいニュアンスの違いでバツを付けられることもないので、最悪の場合、原文の構造を変えずに類語に置き換えるだけで解答するという逃げ方もできます。

優秀な講師と、親切で真面目なクラスメイトに恵まれて、ハイデルベルクでの3か月はあっという間に過ぎてしまいました。ここでの日々は一生の思い出です。ちなみに、この際に初めてシェアハウス検索サイト(WG-gesucht)で宿探しをしました。大学のあるハイデルベルクに家が見つけられなかったので、隣町のラーデンブルクにあるドイツ人女性の持ち家に住まわせてもらいました。

大学は地獄?課題と授業の実際

卒業までこなさなければいけない壁

DSH試験対策コースも大変でしたが、本当の地獄は入学してから始まりました。

史学科は実験によってデータをとるなどの作業はありませんが、何しろ鬼のように文献を読みます。毎週100ページ以上です。ドイツ人ですら嫌がるような、複雑で難解な文章で書かれたドイツ語です。これを読んでいれば新聞記事程度は寝ぼけていても読めるようになります。履修するゼミによっては英語の文献が大半を占めることもあります。

勉強の風景

1つのモジュールをクリアするためには、授業内でプレゼンテーション(Referat)の他に、ゼミ論文(Hausarbeit)やエッセイなどの提出が義務付けられています。

以下の表は、私の所属する史学科修士課程(現代史)のモジュールと提出が義務となっている課題一覧です。

モジュール

授業

合格に必要な課題

導入

導入ゼミ+チュートリアル

15ページのゼミ論文1本

方法論と理論

演習+演習

それぞれの演習につき15ページのエッセー2本

現代史1(主専攻)

ゼミ+演習

25ページのゼミ論文1本

現代史2(主専攻)

ゼミ+演習

25ページのゼミ論文1本

歴史学実践

演習+演習

いずれかの演習につき15ページの論文1本

研究実践

コロキウム+研究ゼミ

修論構想発表15ページ

専攻外科目

合唱3学期分*3

専攻以外の授業全て対象

近代史(副専攻)

ゼミ+演習

10ページのゼミ論文1本

修論とディフェンス

講義はなし

最大65ページの修論

というように、合計8つの提出論文と修論を乗り越える必要があります。

私はあと現代史2のゼミ論文と修論が残っており、修士論文では、BRAVOという雑誌のDr. Sommerというコラムを題材にしています。大雑把にいうと、紙版のYahoo!知恵袋のようなものです。この生活全般に関する助言コラムが、なぜ、どのようにして60年代後半に性教育のためのコラムへと変貌を遂げたのか、また、このコラムが70年代から80年代前半の若者の性道徳価値観およびドイツの教育機関における性教育にどのような変化をもたらしたのかについて調査しています。

ここまで何とかたどり着いたものの、道のりはまだ長いです。

大学生活で求められるドイツ語レベル

最後に、大学の生活を乗り切るためのドイツ語について、私の体感をお伝えしたいと思います。

この記事を読んで「もう6学期目に入ったのだから、ドイツ語も問題なく、大学生活も慣れ、課題も難なくこなしているだろう」と思われているのであれば、残念ながら外れです。

確かに、ドイツ留学をサバイバルする術は身につけました。

始めの一年は講師や学生が何を言っているのかほとんど聞き取れず「今日の晩御飯はお肉が食べたいな」とか全然違うことを考えているうちに終わってしまいました。今でも自分の守備範囲外のテーマだと、聞こえた単語で発言内容を予測することもできずじっと座っていることもあります(笑)。

妙に真面目なタイプなので、はじめは「全部きちんとこなさなければ」とドイツ語が理解できない自分を責め立てては落ち込んでばかりいましたが、そのうち、課題だけは必死にこなして生き延びるスキルや、デキそうな人を見つけて講義メモの写真を手に入れるスキル、デキそうな人を見つけてチームを作りプレゼンを乗り切るスキル、授業もなんとなくついていけるようになるスキルを修得できました。遠く離れた文化圏からやってきて、まったく異なる言語で大学生活を送り、親近感も持てない愛想のないドイツ人にまみれて頑張っているのですから、これで十分やれることをやっていると勝手に満足しています!

しかし、ゼミに行くたびにいまだに謎の腹痛に襲われ、口頭発表がある日は「今日こそ地球に隕石がおちてくれないか」と願って授業に向かいます。長期休暇でゼミ論文を書きますが、まず、選んだテーマの先行研究を読むのにネイティブの何倍も時間がかかり、それを自分なりに消化できるまでが長いです。その段階を経たのち、問いを立ててまとめる作業で頭がパンクし、書き始めると稚拙で同じ表現しか思い浮かばない自分にイライラして発狂します。内容のクオリティまでこだわることができるようになる頃には、自分のテーマが大嫌いになり、アルファベットに対するアレルギー反応を起こします。(※個人の感想です)よくこんな心理状態を繰り返しているものです。

というわけで、本日も続きを頑張ります。

お読みいただきありがとうございました。次の記事では留学生活のうちでも大学の外、つまり、私生活についてお届けします。

著者紹介

しゅぶた

Twitter:しゅぶた(@butapon717

(編集:伊藤智央)

関連する記事

*1:30歳までという条件がつきますが

*2:現地の口座がないとめちゃめちゃ面倒くさいです

*3:私は専攻外科目として音楽学専攻の実践モジュールにある合唱演奏を選択しました。このモジュールでは、合唱かオーケストラでの演奏活動を選択し、いずれも毎学期末にベルリンの演奏会場や教会でコンサートに出演することができます。1学期につき5単位を取得することができるので、3学期でこのモジュールの全15単位を揃えました。

【ドイツMBA体験記】入学準備から卒業プロジェクトまで丸わかり

上昇志向のあるビジネスパーソンであれば一度は考えるであろうMBA留学。

実際はどんな困難があり、どんなことが得られ、卒業後にはどんなキャリアが待っているのでしょうか?

そういった疑問に答えるためにも、今回はドイツ在住のよしのさんに体験談を詳細に語っていただきました。まさにMBA体験が「丸わかり」です。

---- 以下、寄稿文 ----

こんにちは、よしのです。

今回、伊藤さんのブログにて自分のMBA体験をお話しする機会をいただきました。

私は2015年9月〜2016年9月にかけて、ドイツのマンハイム大学が提供しているマンハイム・ビジネス・スクール(以下MBS)という1年制のフルタイムMBAプログラムに通いました。

この記事では、そうしたみずからの体験を元に、MBAではどんな授業を受けるのか、学生生活はどんな感じなのかについてMBAに興味がある方にもそうでない方にも、わかりやすくご紹介したいと思います。現時点で最も詳しいドイツMBA体験記ではないかと思います。

「MBAに行きたい!」

MBA留学をしようと思ったきっかけ

私の場合、前職の上司の1人の言葉がMBA留学を志したきっかけでした。

その人は昔アメリカの大学で講義をしていた経歴があるそうで、ことあるごとにいろいろな人に学業を勧める人でした。

「29歳ならもう一度学校へ行く最後のチャンスだぞ」

とか言われ、大学を卒業してからまた学校で勉強するという発想のなかった私は、「そんな道もあるのか」と目から鱗が落ちました。

MBAである理由

当時、私は新卒で入社した会社が初めてのM&Aで買収した企業に日本から出向しており、人事部門にいたこともあって組織変革の難しさを毎日感じていました。

もともと買収を繰り返すような弱々しい基盤の組織であるうえに、言語・文化の壁、いろいろな立場の人たち同士の相互理解の不足、厳しい金銭状況、入れ替わりの激しい人員などが複合的に影響し、一言でいえばカオスでした。

会社の規模が小さくなった分、経営者を間近に見る機会は日本にいた頃よりも増えました。CEOやCOO、VPの隣の部屋で仕事していましたので、彼らの忙しさや責任の重さ、ときに立ち回りのうまさ、一気にプロジェクトを進めるときのリーダーシップなどを垣間見る機会もありました。それでも会社の状況はなかなか改善しません。社内の雰囲気も決して良いとは言えませんでした。

私はこの経験を通して、組織再編とそれに伴う組織変革に強く興味を抱くようになり、組織と組織・人と人同士がいかにうまく寄り添って問題を明らかにし回答を導くか、その技法を学びたいと思うようになりました。

日系企業では専門分野を極め、昇進していって役員になり、子会社に経営層として送られることが珍しくないですが、指揮者が指揮の勉強をするように、経営者は経営について一度腰を据えて勉強することが一助になるはずだということがそのとき思ったことでした。

当時の自分は目の前のことに精一杯で、やるべきことをやれておらず、そのために必要な能力も権限も不足していると感じていました。もう一度学校へ行きたいとは何となく思いつつも、どの分野へ行くか決めかねているとき、知人の一言からMBAについて調べ出し、国際的な環境で経営について学ぶ場であると知りました。そして、「ここに今の状況を打開するヒントがあるのではないか!?」と一気に修学意欲が高まったのです。

ドイツのマンハイム・ビジネス・スクール(MBS)を選んだ理由

MBAに行くことを決めてからは、どんな学校があるのかということを調べ始めます。私の場合、最初からドイツに近い欧州圏内を想定していました。というのは、当時付き合っていた人(今の夫)がドイツで大学院に通っていたからです。

イギリスやフランス、スイスなどのMBAにも興味を持ちましたが、割と早い段階でドイツのMBSを第一志望とすることに決めました。

そのときはドイツに住んで3年半ほどでしたが、日本以外に自分の中に軸となる国を持ちたいと思っていましたし、ドイツという国についてまだ知るべきことがあると感じていました。加えて、ドイツは学費が他国よりも比較的安く、MBSはドイツ国内においては当時Financial TimesのMBAランキングで1位でした。MBA卒業後にドイツで就職活動をするにも、ドイツ企業とつながりの強いMBSへ行くのは合理的な選択でした。オープンデーで聴講したマーケティングの授業が興味深かったことや、説明会で出会ったアルムナイ(OB・OG)、個人的に話を聞いたOBの人柄に好感が持てたこともMBSを受けることを後押ししました。

MBSには

  • 1年制のフルタイムMBAと、
  • 仕事をしながら通える2年制のパートタイムMBA

がありましたが、私は学校に集中したかったのと、卒業後は転職したいと考えていたのでフルタイムMBAを選びました。

入学準備

そうと決まれば、入学するための準備です。

必要書類

MBSの入学申請に必要だったものは主に以下のとおりです。

  • 願書(内容は顔写真、学歴、職歴、言語能力、志望動機、趣味など)
  • 履歴書
  • 関連する卒業証明や成績証明など
  • GMAT/TOEFLまたはIELTS
  • 推薦書2通
  • 申請手数料100ユーロの支払い証明

大学側が挙げていた理想的な候補者が備える条件は以下のとおりです。

  • 学士の保持
  • 卒業後3年以上の職務経験
  • 潜在的リーダーシップ
  • 国際性
  • 英語力

これらは申請書類と面接から総合的に判断されます。

GMAT/TOEFL

どこのMBAプログラムに申請するにも専らGMATやTOEFLといった試験の点数が必要です。

ウィキペディアの説明を借りると、GMAT(Graduate Management Admission Test)は、「大学院レベルにおいてビジネスを学ぶために必要な分析的思考力、言語能力、数学的能力を測るための試験」、TOEFL(Test of English as a Foreign Language)は、「英語圏の高等教育機関が入学希望者の外国語としての英語力を判定する」試験です。

各試験ごとの必要得点は受験先によって異なり、当然ながら人気のMBAプログラムになるほど足切り点は高く、審査も厳格です。

私の場合、MBAを受けると決めてから受験したのは、GMATが3回、TOEFLが2回です。それぞれ250ドル近くする高額な試験を短期間に何回も受けたのは、入学できるかどうかギリギリのラインだったからです。正直、点数はクラスの中でどんけつの方だったと思います。

試験の準備を始めてから最後の試験を受けるまでの期間は半年強で、勉強に使用したのは主にGMACやETSなどといった各試験の作成機関が出版している過去問題集です。

私が使っていたGMATのテキストは以下のものです。

2020年度版はこちら

推薦書

推薦書は、ドイツで働いていたときの元上司の1人と、同じくドイツでお世話になっていた取引先の方に書いていただきました。どちらもドイツ人です。ドイツ人に推薦をお願いしたのは、ドイツの就業環境を垣間見た経験上、ドイツの大学に提出するならその方が話が早そうだと個人的に思ったから、また日本人である自分の国際性の裏づけにもなると思いました。

面接

一次面接(スカイプ面接)

11月に願書を提出してから2週間ほどで書類審査に通った旨連絡があり、年始のスカイプ面接に呼ばれました。

面接官は入学希望者対応をしているAdmissions Managerです。聞かれたのはごく基本的な内容で、

  • 志望動機
  • 職歴
  • 今後のキャリア目標

など。

面接の内容も事前におおよそメールで通知され、想定問答を作って対処しました。

二次面接(直接面接)

一次面接の3週間ほど後に二次面接が行われました。

可能ならば直接大学まで来て欲しいが、無理ならスカイプでの面接も可能とのことでした。私は自分の候補者としての売りが弱いと感じていたので是が非でも直接行かなければと思い、おりしも日本に帰任する2日前に万障繰り合わせて大学まで出向きました。

二次面接の面接官はProgram Directorで、内容はケーススタディがベースでした。基本的な準備日数が定められていて、その日数が確保されるように面接前にケースが送られてきます。

私のときは格安アパレルチェーンを展開する企業のマーケティング戦略についてでした。資料の中ではこの企業の業績変化、店舗展開、社歴、価格帯、顧客の購買傾向などが紹介されており、当該企業が業界においてどのような優位性を持っているか、業界での立ち位置についてどのような特性が見受けられるかなどを分析するよう求められます。これをもとに面接で確認されるのは、

  • 自分の知識
  • リサーチ内容
  • プレゼン・スキル

などです。

当時、自分が住んでいた場所の近くにはこのブランドの店舗はありませんでしたが、ちょうど面接の準備をしている最中にロンドンへ行く予定があったので、そこで実店舗を見に行きました。その間もオンラインで当該企業の公式情報や、好調な業績について分析した記事、不祥事のニュースなどをチェックし、自分なりに設問への答えを用意して臨みました。

面接は緊張しましたが、当時のProgram Directorはとても感じの良い人で、スムーズに進みました。

この面接の2日後、日本に降り立った空港でメールを確認し、MBSに合格していることを知りました。喜びで飛び上がったのは言うまでもありません。

合格の書類日本まで送られてきたプログラムの契約書

入学準備

さて、日本に帰任したと同時にMBAに行くことが決まった私は、これを上司にいつ言おうかいつ言おうか、胃を痛めながらしばらく過ごしました。帰任してすぐ言うのもなんです。しばらくは昔の職場の仕事のリズムを掴むのに集中し、新年度が始まる春ごろに面談で報告しました。日本で私を育ててくれた親のような元上司は、薄々そういうことになると想像していたようで、特に責められることも引き留められることもなく、大きめの仕事が終わった6月末頃から2ヶ月以上ある年休消化に入らせてくれました(超ホワイト)。

この間に、私はドイツに舞い戻り、彼氏の家に居座りつつマンハイムの家を探して、奇跡的に渡独から2週間以内に賃貸契約までこじつけ、8月からマンハイムでの生活を始めました。

マンハイムの住居住んでいた家の周辺

大学環境

マンハイム

マンハイム大学の名のとおり、MBSがあるのはマンハイムという街です。フランクフルトから南に100km弱、人口は30万人ほどです。

中央駅からほど近いマンハイム城の周りは、円形に囲われた区域の中に碁盤の目状の道路が通っており、ここが旧市街(Innenstadt、通称Quadrate)と呼ばれるマンハイムの中心部です。この中心部、一言でいえば汚いです。残念ながら住むのにウキウキする場所ではありません。おおっと思う建物はお城以外にほとんどなく、新しい建物がところ狭しとコンセプトもなく建てられている印象です。

マンハイムは外国人比率が高く、私が住み始めた当時で約25%と聞きましたが、MBAに通っている1年の間に欧州難民危機の影響もあり、目で見て明らかに外国人比率が上がりました。

マンハイムの様子マンハイムの街中

MBSの校舎

マンハイム大学は昔のマンハイム城の一部を校舎として使用しており、MBAプログラムのパンフレットなどにもお城の写真が多用されています。ところが、MBS生に関しては実際にほとんどの授業を受講したのはECD(Educational Center Dalbergplatz)と呼ばれるごく普通のビルの中でした。これに関しては多くのクラスメイトが文句を言っていました。

お城マンハイム城(大学)

大学から見える景色ECDから見える景色

卒業する頃に工事が始まった立派なMBS用のセンターがお城の敷地内にあるはずなので、今はお城に授業を受けに行く機会も、もしかしたら増えているのかもしれません。

MBSの学生の多くは寮に住んでいました。

寮は大学から徒歩10〜20分圏内のところに2箇所ありました。間取りは基本的に1Kでシャワー・トイレが各部屋についていたと思います。寮という名の割に費用は決して安くなく、400ユーロ(約5万円)台。

マンハイムの家賃はミュンヘンなどの大都市と比べるとそんなに高くないので、それだけ出すなら自分で部屋を借りた方がいいやと思い、私は大学から路面電車で15分くらい行った中心部の外に住んでいました。家賃は寮と同じくらいでしたが、部屋は2部屋で湯船もあり、落ち着いた暮らしができるので気に入っていました。

部屋の様子住んでいた部屋

寮生は大学へ行っても寮へ帰っても周りがクラスメイトだらけで、勉強を助けあったり一緒に遊んだりするにはいいのですが、一人の時間や空間を大切にしたい人には疲れる側面もあると思います。

寮でのパーティーの様子寮の廊下で飲み会

クラスメイト

私が入学した2015年9月始まりのMBSのクラスメイトは、総勢53名で、23か国から来ていました。出身国の比率として高かったのは中国、インド、ドイツ、ついでアメリカ、韓国。日本人は私1人でした。キャリアバックグラウンド的には様々な人がいましたが、エンジニア経理畑が多い印象です。年齢は一番若くて26歳一番年配が39歳と一回りくらいの幅があります。

自分はそれまで日本、アメリカ、ドイツに暮らしたことがありましたが、南米や中東、ロシアなどの人とは話す機会がなく、身近にこれらの出身地の人がいるというのは新鮮な体験でした。

学費

私が入学した当時の学費は年間で3万6000 ユーロ(当時で約480万円)です。早く願書を出したので、早割(Early Bird Reduction)という2000ユーロの割引が受けられました。

割引後の3万4000ユーロは2回払い(支払時期は入学前、追加割引あり)と5回払い(3回が入学前、2回が入学後)が選べました。私の場合、円をユーロに換金して払わなければならず、通学中に円が上がるかもしれないと思い5回払いにしました。

学費に加えて在学中の生活費・娯楽費等は、すべて貯金から出しました。この貯金は出向中に貯めたものです。返すがえす、出向させてくれた会社に感謝しなくてはなりません。

確認すると、現在の学費は3万9500ユーロ(約500万円)だそうで、5年で3500ユーロ上がっています。入学申請の手数料も値上がりしたようです。他の学校を見ても年々学費は上がっているので、興味のある方は早く入学申請した方が得かもしれません。

ちなみにフルタイムMBA生のうち、社費留学は2人でした。パートタイムMBAになると、ほとんどが社費留学です。

入学までのスケジュール

ということで、振り返ると私のMBA入学準備は1年半ほどで、以下のようなスケジュールでした。

年月
イベント
2014年2月 MBAに興味を持ち出す
2014年3月〜10月 各大学を調査(資料請求、説明会・オープンデー参加)
2014年6月〜2015年1月 GMAT申込、受験(8月、11月、1月)
2014年10月〜12月 TOEFL申込、受験(11月、12月)
2014年11月 願書提出
2015年1月 一時面接(スカイプ)
2015年1月 二次面接(大学にて)
2015年1月 合格
2015年6月 最終出社
2015年7月 家探し
2015年8月 引越し
2015年9月 入学

MBAのプログラム

まず、MBSのMBAプログラムは5つのトラックに分けられています。

これらのトラックは

  • ドイツ
  • ユーラシアン
  • トランスアトランティック
  • ヨーロピアン
  • グローバル

と名付けられていますが、要は在学中に何回どこに留学するかでトラックが分かれます。

1年を4つのタームに分けた3期目と4期目は必ずMBSにいなければなりませんが、1期目または2期目、もしくはその両方にMBSの提携校へ留学することができます。当時の提携先としては、

  • シンガポールのNUS(National University of Singapore)
  • カナダのQueen‘s School of Business
  • フランスのESSEC Business School
  • 英国のWarwick Business School

などがありました。

私はずっとMBSで学ぶドイツ・トラックを希望しました。

理由は、留学すると滞在費や交通費など出費がさらに嵩むことと、1年という限られた期間に短期留学を詰め込んでも、引越ししたり生活に慣れたりするのにバタバタするだけだと感じたからです。MBSにいることが自分にとってはすでに海外留学なので、他の国にわざわざ行きたいという気持ちもあまりしませんでした。

ほとんどのクラスメイトはドイツ・トラックを選択していましたが、別のトラックを希望していたのはドイツ出身の子が多かったです。気になるMBAプログラムがもともと複数ある人は、こうした交換留学を活用するといろいろな校風を体験できて良いかもしれません。

4つに分けられたタームの1期目と2期目の2/3はCore Coursesと言って必修の授業を受けます。2期目の1/3と3期目はElective Coursesと言って選択制の授業です。

授業以外に、重要なプロジェクトが2つあります。1つ目は「社会貢献プロジェクト」(Social Sustainability Project、通称SSP)です。2期目〜3期目にプロジェクトを実行し、3期目にProgram Directorなどへの結果報告プレゼンがあります。

もう1つは「ビジネス・マスター・プロジェクト」(Business Master Project、通称BMP)で、4期目はまるっとこのプロジェクトに使われます。「ビジネス・マスター・プロジェクト」はMBSが提携している外部の企業に対してコンサルティングプロジェクトを行う、またはスタートアップのビジネスプランを独自に練るというものです。修士論文もこのプロジェクトの内容について書きます。

「社会貢献プロジェクト」と「ビジネス・マスター・プロジェクト」の2つのプロジェクトは4〜5人で構成されるチーム(Multi-Competence Team、通称MCT)で行い、このチームのメンバーは1期目の最初に発表されます。一緒のチームになったクラスメイトは、以後同級生の中でも最も多くの時間を一緒に過ごすことになる重要な人たちです。

1期目(2015年9月〜12月)

1期目:授業

前述のとおり、1期目は基本的に必修授業を受けます。入学式の後、チーム・ビルディングや写真撮影、オリエンテーション的な内容がちらほらあり、それと同時に授業が始まります。

受けた授業は以下のとおりです。

  • 財務会計事前準備コース(Pre-course Financial Accounting、希望制)
  • 定性・定量調査手法(Qualitative and Quantitative Research Methods)
  • 財務会計の基礎(Fundamentals of Financial Accounting)
  • マーケティングの基礎(Marketing Fundamentals)
  • 戦略マネジメントの基礎(Fundamentals of Strategic Management)
  • 財務の基礎(Fundamentals of Corporate Finance)
  • マクロ経済(Macroeconomics)

これに加えて、ドイツ外から来た生徒にはレベル別のドイツ語の授業があります。MBAの授業はすべて英語で行われます。

基本的に各授業は5日間の日程となっています。5日間同じ授業が月〜金まで続くことはほとんどなく、授業によって毎週月曜だったり指定の日付だったりします。多くの場合、内容はレクチャーとグループ・ワークの組み合わせで、成績は授業内でのグループ・ワークやプレゼンおよび個人で取り組むケース・プロジェクト、日程の途中または最終日に実施される試験の結果などの組み合わせで評価されます。

各授業でグループ・ワークを実行するチームメイトは、MCT(「社会貢献プロジェクト」と「ビジネス・マスター・プロジェクト」を行うチーム)とは異なり、授業ごとに発表されます。いろいろな人と満遍なくチームが組まれるようアドミンが注意しているので、各種の授業をとおしてクラスメイトのほとんどと一緒にチームを組むことになります。授業ごとにチーム内でのチームメイトの貢献度を匿名で確認する機会(peer rating)が与えられ、成績に反映されます。

1期目:1週間のスケジュール

1期目のある1週間の予定を開くと、こんな感じです。

曜日
時間
やること
月曜 09:00-13:00 F&A(Group Work #2締切)
  14:00-18:00 F&A
  18:00-19:00 MCTミーティング
火曜 09:00-13:00 Entrepreneurship Workshop
  17:00-19:30 Marketingミーティング
水曜   授業なし
    Q&QとMarketingのグループワークなどの準備
木曜 09:00-11:00 Q&Qミーティング
    ドイツ語の予習
  17:00-19:00 Marketingミーティング
金曜   ドイツ語の予習、家の掃除など
  16:00-18:30 ドイツ語クラス
  19:30- ホッケー観戦
土曜   Marketing個人ワーク、Q&Q予習
    翌週以降に始まる授業の確認
    買物
  21:00- クラスメイトの家でパーティー
日曜   Q&Q課題

実際につけていた予定帳私のスケジュール帳

見ていただければわかるように、この週は大学の授業・ワークショップは月・火の2日しかありません。それもそのはず、5日間の授業が6つあっても、3ヶ月のうちの1ヶ月半くらいしか埋まらないので、平均して土日を抜いた週の約半分は自由ということになります。

え!?暇そう?どっこい、そこまで暇でもありません。

確かに授業自体は余裕を持ってスケジューリングしてあり、そこまで詰まっていないのですが、予習や課題の準備、グループワークのためのミーティングが、複数の授業・プロジェクトのために並行して進むので、やることはいろいろあります。1期目ではありませんが負荷の高い授業だと、30ページくらいある課題文を毎回1〜2本読んで、プレゼンも毎回準備しないといけないケースもありました。

1期目:印象に残った授業

1期目で印象に残った授業は「定性・定量調査手法」(Qualitative and Quantitative Research Methods、以下、Q&Q)や「マーケティングの基礎」(Marketing Fundamentals)です。

Q&Qはそれ以降の授業の下地となる調査手法についてで、ビジネス上の課題を解決するためにどのようなデータやメソッドを用いればよいか、実証的データを分析して仮定をどのように裏付けるか、実証的調査の設計の練習などでした。数学的な部分は今資料を見ても正直ちんぷんかんぷんですが、目的に合わせたアンケートの取り方などは企業で役に立ちそうだなと思います。

「マーケティングの基礎」ではマーケティングの機会を分析し、戦略を策定するための主要なコンセプトやツールを学びます。すべてのチームにケーススタディに基づく授業内でのプレゼンが課されていて、プログラムが始まって間もないころだったこともあり皆必死で準備をしていたのでよく覚えています。私たちのチームは某有名コーヒーチェーンのマーケティング戦略を分析しました。

自分はプレゼンが大の苦手。昔から人前に立つと塩をかけられたなめくじのようになってしまいます。英語で大勢の前でプレゼンをすることにも慣れていません。目で見てわかりやすいスライド作りと、はっきりと相手に伝わるような説明に気を配り、台本を作って何度も練習しました。

プレゼンの後、クラスメイトが私のパートを「集中して聞けた」と言ってくれたときはうれしかったです。

1期目:飲み会

前述の週の予定を見ると、ホッケー観戦と週末のパーティーに行っていますが、1期目はほぼ毎日どこかでパーティー・飲み会が行われていました。特に寮生は毎晩廊下や誰かの部屋でパーティーです。飲み会でプレゼンスを発揮することが元来生きがいだった私も、さすがに辟易するほどでした。

地元ホッケーチームマンハイムはドイツ屈指のホッケーチーム、Adler Mannheimのホームです

クラスメイトの中にはフランクフルトやハイデルベルクの近郊から通っている子たちや、小さい子供を持つ親(育休中のツワモノも)が何人かいたので、もちろん全員がいつもパーティーに来るわけではありません。が、こういう場を通じてクラスメイトと交流を深めることもMBAの醍醐味の1つだと思います。

2期目(2016年1月〜3月)

2期目:授業

2期目は必修の授業が4つ、選択制の授業が2つです。

<必修授業>

  • 管理会計(Managerial Accounting)
  • 組織行動と変革マネジメント(Organizational Behavior & Change Management)
  • オペレーション管理(Operations Management)
  • 企業倫理とCSR(Ethics & CSR)

<選択制授業>

  • 応用財務(Applied Corporate Finance)
  • 国際マーケティング(International Marketing)
  • イノベーション&クリエイティビティ・マネジメント(Innovation & Creativity Management)
  • 企業合併と組織再編(Corporate Mergers & Restructuring)

選択制では「応用財務」と、「企業合併と組織再編」をとりました。

2期目:印象に残った授業

2期目は「組織行動と変革マネジメント」や「応用財務」などが印象に残りました。

「組織行動と変革マネジメント」は、まさに私が会社で悩んでいたことと非常に関連性が高いテーマでした。レクチャーで学んだのは、個人・グループのパフォーマンスを高めるためのインセンティブやルール、組織風土の働き、リーダーシップのスタイル、変革管理の8ステップ・プログラムなどです。「組織行動と変革マネジメント」の授業の中でもチームごとのプレゼン発表があり、私たちのチームはとあるオランダの電子機器企業の歴史や変換点を紐解き、その企業の抱える人々、組織風土、歴代の経営層のリーダーシップ・スタイルなどを業績の変化を追いながら分析しました。この授業は、自分が前勤めていた環境において何が問題だったのか、どうしたらもう少し良くなり得たのかを考える貴重な機会をくれました。

数字も財務も大嫌いですが、「応用財務」はとって良かったです。ここではM&Aの際の企業価値の計算や、最適な資金調達、製品マーケット戦略と財務の関係などがテーマでした。授業内ではケースに基づいた計算作業がたくさんあり、飽きることがありませんでした。

よく覚えているのは、チームで一緒になったYのことです。

彼女はドイツ語のクラスでも一緒だったのですが、とてもシャイな子で、発表のときの声なども小さめ、授業で積極的に発言することはほとんどなく、クラスメイトとの付き合いも同じ国の仲良くしている一部の子と話している感じでした。ただ、ドイツ語の授業で地道に単語カードを作ったり、しっかり予習したりしてきているところから真面目さは伺えました。彼女はもともと経理畑の出身で某有名会計事務所にいたこともあるのですが、「応用財務」の授業で一緒になったときは自信のある口調で他のメンバーを引っ張ってくれて、とても頼もしい一面を見せてくれました。

授業であまり発言しない目立たない子が、実はすごく数字に強かったり分析に長けていたりというのは他にも何例もありました。一見しただけではその人の強みはわからないものだと強く思ったできごとです。

3期目(2016年4月〜6月)

3期目:授業

3期目の授業はすべて選択制です。

<選択制授業>

  • グローバル企業戦略(Global Corporate Strategy)
  • 事業・企業税制(Business & Corporate Taxation)
  • 責任あるビジネス交渉(Responsible Business Negotiation)
  • データから導く見識(From Data to Insights)
  • サプライチェーン・マネジメント(Supply Chain Management)
  • 戦略的人材管理(Strategic Human Resource Management)
  • グローバル情報管理(Global Information Management)
  • 消費者行動(Consumer Behavior)

私は「グローバル情報管理」と「消費者行動」以外の6つをとりました。

3期目:印象に残った授業

3期目に特に印象に残った授業は、「責任あるビジネス交渉」と「サプライチェーン・マネジメント」です。

特に「責任あるビジネス交渉」は、1年を通して最も記憶に残った授業でした。参加した生徒は、皆口を揃えてこの授業を高く評価していました。

1対1で給与交渉したり、チーム対チームで石油価格の取り決めを交渉したりと、ケースに基づく模擬交渉がふんだんにあり、交渉においてはまってはならない落とし穴にまんまとはまる体験をすることで、学びが頭に刻み込まれるような感覚でした。授業で使った交渉準備シートも載っている『The First Move』という本は、読み物としても面白く、卒業した後も面接の準備などの際に開いています。

Amazon.jpに翻訳本がありました。

英語版はこちら。

「サプライチェーン・マネジメント」ではオンラインのシミュレーションゲームを使って物流網戦略を練り、その結果をチームごとに競い、学びをプレゼンにまとめるということをやりました。ゲーム内では商品の特性、市場の季節性や参入条件、オーダーサイズ、関連する日数や価格などの細かな設定があり、特定の国で工場を拡大すべきか否かや、倉庫を新規に建設すべきか、どこで建設すべきか、どのように配送すべきかなどをチームで決めます。3日間深夜を含めてシミュレーションが常に動き続け、刻々と状況が更新されます。

最も実績をあげたチームのいくつかが最後に皆の前で発表を行いました。ここで記憶に残るのはクラスメイトのMのことです。

彼は優勝チームのメンバーの1人でした。チームの発表自体も自分たちが想定していなかったことがいろいろと考慮されていて感動したのですが、彼のこのゲームへの嵌まり込みっぷりがすごく、別のチームの仲の良い子と「サプライチェーン・マネジメント」の授業が終わった後もずっとこのシミュレーションのことを話し合っていて、2人で関連するテーマをもとに大会に出て副賞をとったとその後言っていたほどです。

彼はMBAに入る前は自分で起こした会社のCEOを務めていて、とにかく頭が良い人でした。私が今までの人生で見てきた人の中で一番頭が良い人ではないかと思います。単に記憶力が良いとか、効率が良いとか言うよりも、先の先の先を見ている感じです。そしてものすごく粘り強い人でした。2期目でとった授業「オペレーション管理」で一緒のチームでしたが、チームの提出物に盛り込まれる計算を朝の2時までブラッシュアップしていました。別に他の人に強制したり、されたりするわけではなく、彼にとっては自分の好奇心や納得感が満たされることが重要なのだと感じました。そんな彼は私同様、またはそれ以上に人前に立つことが苦手で、裏方はなんでもやるからお願いだからプレゼンやって、というのが口癖でした。人それぞれ、得意・不得意があるんだなぁというのがよく分かります。

3期目:就職活動、企業イベント

さて、MBAも終盤に入り、皆次のステップを見据えて動き出します。

卒業後の進路選択、就活です。MBSにはCareer Developmentチームがおり、履歴書作成や面接の際のアドバイスをくれたり、企業を招いてプレゼン・ネットワーキングイベントを開いたりしています。3期目はそれまでにも増してこのようなイベントが増えます。

3期目:「社会貢献プロジェクト」

「社会貢献プロジェクト」も佳境に入ります。1・2期目にコンセプトを練り、計画を準備し、3期目にプロジェクトを実行したうえで、発表にまとめました。

私たちのチームでは、プロのアーティストの協力を得て、難民の人たちと一緒にアートをつくるワークショップを開催し、それを売って得られた資金を難民を支援する団体に寄付するということを行いました。どのような問題を拾い上げるか、どのようなパートナーを見つけ出すか、どのような方法でプロジェクトを実行するか、どのようにして資金を得て収支をプラスにするか、何もないところから自分たちで構築していきました。「ビジネス・マスター・プロジェクト」はあらかじめ提携企業が設定したテーマがありますが、「社会貢献プロジェクト」は自分たちで一から自由に決めることが多く、社会貢献の側面を強く意識するので、むしろ小さなビジネスを起こすトレーニングになると思います。

欧州難民支援の問題を取り上げたのは、チームのうちの1人がこの問題への情熱がものすごく強く、教会団体が開いている地元の難民支援のイベントを訪問したり、難民が住んでいる施設を訪問したりして、他のメンバーを引き込んでいったからです。彼は入学前からマンハイム近郊に住んでおり、ドイツ人ではありませんがドイツに長年いて、家族もドイツ人、これからもドイツにいるであろうという状況で、難民の問題を自分ごととして捉え大きな関心を持っていました。彼の執念と情熱でプロジェクトが動き出したと言っても過言ではありません。

ワークショップ参加者の出身国は一様ではなく、いろいろな言語への翻訳・通訳が必要だったのが大きなハードルの1つでした。イベント告知ポスターをパキスタン出身のクラスメイトに頼んでウルドゥー語やパシュトゥー語に翻訳してもらったり、ワークショップ当日もインド出身のチームメイトが英語から通訳した言葉を多言語が使える参加者の人に頼んでまた別の言葉に通訳してもらったりと、できるだけ参加者の多くが説明を理解できるよう尽力しました。参加者の中にはドイツに来てから一番楽しいイベントだったと言ってくれる人もいてうれしかったです。

費用は一部をクラウドファンディングで集めたほか、できたアートワークを大学構内で販売し、寄付も集めてそこから出しました。イベントでアートの作り方を解説してくれたアーティストは、交通費等実費のみで力を貸してくれ、必要経費を引いた後の利益は難民支援を行う教会系のパートナー団体に寄付しました。利益の額自体は小さなものですが、アートがいろいろな人の手に渡り、彼らの家に飾られ、今後もそれを人が見るたびに問題について話され思い起こされるきっかけになると思うと、お金だけではない価値がプロジェクトにあったと思います。

自分は欧州難民支援の問題を見聞きすることはあれど、実際に難民の人たちと話す機会はそれまでなかったので、その人たちと一緒に何かをやることができたのは貴重な経験でした。クラスメイトについてもそうですが、私の場合遠い国のことをどこか別世界のように思っていて、自分とはまったく違う人がまったく違う考え方をしていると思っているふしがありました。実際に話すと、そうではない側面もたくさんある、共通することの方が多いということに気づくことができます。

3期目:「ビジネス・マスター・プロジェクト」

3期目に入ると「ビジネス・マスター・プロジェクト」も本格的に動き出します。

どのような提携企業があり、それぞれどのようなプロジェクト内容なのかという説明を受け、チームとしてピッチ(立候補)したい先を絞り込みます。自分たちはどのような強みを持つチームで、それが各プロジェクトの達成に必要な条件とどのように適合するかを企業の担当者の前でプレゼンします。

私たちのチームはフランクフルト近郊のコンサルティング企業のプロジェクトを担当することになりました。

4期目(2016年7月〜2016年9月)

4期目:「ビジネス・マスター・プロジェクト」

4期目は基本的に「ビジネス・マスター・プロジェクト」に集中します。授業はもうないので、毎日会うのはほぼ自分のチームメンバーのみ、大学へ行けば廊下で別のチームメンバーに会うくらいです。

「ビジネス・マスター・プロジェクト」の細かいプロジェクト内容は守秘義務があるので省きますが、ざっくりとやったことは以下のとおりです。

  • 7月
    • プロジェクト遂行に必要なインタビューや下調べ
    • チームで方向性を定めるための議論
    • 最終アウトプットの叩き台を作ってこねまわす
  • 8月
    • 最終アウトプットをひたすらブラッシュアップ
    • クラスメイトにも協力してもらってテスト
    • アウトプットを企業に提出
    • プロジェクトの内容を修士論文としてチーム全員でまとめる
    • 企業の担当者とProgram Director等の前で最終プレゼン
    • 修論を印刷して全員でサイン、提出

9月に入ったら月半ばの卒業式までは、ほぼ皆休暇をとっていました。私も卒業式までの2週間弱、日本に帰って羽を伸ばしました。

4期目:卒業式

入学式からちょうど1年経つその1日前。晴ればれとした気持ちでまたクラスメイトが勢ぞろいします。

卒業式はマンハイム城のど真ん中にあるKnights’ Hallと呼ばれる広間で行われました。ザ・お城という雰囲気のこの場所に入ったのは卒業式の時だけです。

なかなか雰囲気のあるかっこいい場所ですよなかなか雰囲気のあるかっこいい場所ですよ

ここで卒業生代表のスピーチを聞いたり、1人ずつ卒業証書をもらったり、卒業式でよく見る黒い四角い帽子を皆で空中に投げて写真を撮ってもらったりします。

レンタル卒業服に身を包む私レンタル卒業服に身を包む私

1年の密な時間もこれでおしまい、卒業後クラスメイトは方々へと散っていきます。

4期目:就職活動とその後

自分は2015年12月くらいからぼちぼち企業にアプライしだし、2016年の7月以降は一層腰を入れてアプライだけはしていましたが、面接までいくこともなかなか難しく、卒業する時点で次の働き口に関しては白紙の状態でした。

卒業してからも、しばらくはマンハイムに住みつつ、ドイツ語の勉強をしながら就活しました。見通しが立たないまま貯金がどんどんなくなっていったので、2017年1月くらいにフリーランスになることを思い立ち、翻訳業を始めました。今もドイツで翻訳家をしています。

MBAに行ってみた感想

知識に加え実践がやはり重要

私は主に経営についての知識やノウハウを求めてMBAに行こうと思ったわけですが、これに関しては知識欲という点ではある程度満たされました

が、MBAに行く前に働きながら抱えていた問題に、卒業後対処できるようになったかというとはてなマークです。組織全体でもっとこうしたら良かったのではないかと考察はできても、いざ自分が同じ状況に立ったら、それを変えられるだけ動けるかというと、大きな自信はありません。

MBSに来てプレゼンをしてくれた企業の中に、とある企業再建コンサルタントがありました。実際の再建事例をもとに彼らがどのような仕事をしているのかをプレゼンしてくれて、私はPost-Merger IntegrationやChange Managementに興味を持っていたので、彼らの話が非常に面白く感じられました。質疑応答のとき、プレゼンしてくれた人に「なぜ企業は変われなかったのでしょうか?」と尋ねました。するとその人は、「簡単な算数だ。やるだけだ。」と言いました。

私は「自分、弱くてすみません…」と思わず涙が出そうになりました。そのとき、仕事というのは責任を取ってあらゆる困難と抵抗に立ち向かうことなのだと改めて思いました。

当然と言えば当然のことながら、「知識がある」=「仕事ができる」ではありません。知識やロジックは前提で、仕事を達成するためには場数を踏んで鍛錬すること、そして泥臭い精神的な部分がやはり必要なのだと思います。

人は一見しただけでは分からない

前述のように、クラスメイトの中には一見して何を考えているか分からなかったり、自分を表現するのが上手でなかったりするものの、実はすごくある分野に長けているという人たちがいました。

人を多方面から総合的に見るには、いろいろな状況・場面を共有することが有効で、それにはある程度時間がかかるものだと思います。

フラットな組織で働く心地よさ

上下なくフラットな関係でいろいろなチームメンバーとワークやプロジェクトができるのは最高に心地良かったです。

どんなに年上でも、どんな職歴でも、クラスメイトとしてはお互い対等です。フラットな間柄でも、目的が共有できていればチームは機能するのだと思いました。フラットな関係は言いたいことを言いやすいのでストレスが溜まったり、問題が放置されたり、チームがぎくしゃくしたりすることが少ないです。自分はできる限りフラットな関係で仕事ができる環境を今後も選びたいと思いました。

自分の得意分野でチームに貢献する

チームの目的に応じて、その時々でいろいろな役割があります。

  • アイデア出し
  • 進捗管理
  • 会計
  • 渉外
  • デザイン
  • プレゼン
  • 言語

などなど…

メンバーが得意なこともそれぞれ違います。自分の得意を認識して、貢献できることを見つけ、できることを精一杯やることで能動的にチームの一員になれると思います。

土台作りの重要性

「ビジネス・マスター・プロジェクト」が2ヶ月の間に形になったのは、素晴らしいメンバーたちの力に加え、自分たちが最初にしっかりコンセプトを固めたからだと思います。

一度細かい作業に入り出したら、そこから土台に戻って変更するのは時間がかかりすぎます。逆に迷うことなく突き進めばいいと分かっていれば、作業スピードは高まりますし、細かな部分まで凝ることができます。私は考える前に動き出してしまうタイプなので、この体験は非常に印象的でした。

同級生のその後や交流関係

卒業後ドイツに残ったクラスメイトは半数ほどです。マンハイムはフランクフルトに近いので、フランクフルトで就職した人が多かったです。ドイツ近隣の国で就職したり、母国へ帰ったりした人もいます。またドイツで就職したあと、卒業後数年して母国に帰るという人がちらほらいます。

就職先は業界大手からスタートアップまでいろいろです。コンサルに就職した人も複数いますし、元々働いていた会社に戻った人もいます。

MBAを出たからといって収入がうなぎ上りということは、ゼロではありませんがかなり稀なようでした。

卒業した後もクラスメイトとの交流は続いていて、クラスメイトの1人であるJの結婚式のときなどはクラスの1/3くらいが集まりました。

スペインのマラガでの披露宴スペインのマラガで披露宴に参加しました

クラスメイトの誕生日会や送別会などの企画が持ち上がれば、卒業から5年経った今でも、遠いところから人が集まります。

クラスにしかない雰囲気と居場所があるので、集まるといつでも楽しいです。

特に親しくしているYとは、定期的に連絡を取り合ったり、折りに触れて会ったりしています。MBAに行かなければ出会えなかった人と関係が続いているのは、とてもうれしいことです。

MBAに興味がある人は

いろいろな学校を調べて、合同説明会などに出向いたり、知り合いでMBAをとった人に話を聞いたりすると良いと思います。

私は周りでMBAに行った人たちが、行って良かったと言っていたので行くことにしました。確かにお金はかかりますが、自分も行って良かったと思います。勉強自体は一人でもできますが、多様なクラスメイトから得られる学びがMBAの欠かせない要素で、これはある程度の時間一緒に何かに取り組むことによって初めて得られるものだと思います。

学校によって入学時や入学後の難易度はまったく異なると思いますが、気になる学校があるならば、とりあえずトライしてみてはどうでしょう。自分は入学時も卒業時も成績はクラスで最後方だったと思いますが、なんとか入学も卒業もできました。

学費については既に書きましたが、加えて書いておくとするなら、なるべく余裕を持った資金計画を立てることをおすすめします。

日本から海外に留学する人は円を外貨に換金して生活する人が多いと思いますが、為替が大きく変動することもありますし、在学中クラスメイトと旅行にいくことになったり、卒業後すぐに就職できなかったり、引越しするのにまとまったお金が必要になったりと、予定よりも出費が重なる可能性があります。

おわりに

今回MBAのときのことを振り返る機会をいただいて、昔の授業の資料を見直したり、プロジェクトの記録を見直したりしました。もともとの苦手分野はもちろん、結構がんばったことでも記憶はすでにかなりおぼろげです。

言語の勉強などで、同じ問題集をくりかえし解いて段々と理解を深めていくように、MBAで勉強したことも定期的に見直して自習しないとな、と思いました。授業を受けているときだけでなく、受けた後も学びは続いているのですよね。今はあまり引き出しを開く機会がなくても、必要になったときにサッと出せるようにしておきたいなと思います。

著者紹介

よしの

2011年からドイツ在住。
製造業の事務屋からドイツMBAを経て、フリーの翻訳家。

Twitter:よしの(@hatehatettt)
備忘録的ぴーちくぱーちく

ブログ:すみよしの手帖(https://www.sumiyoshinotecho.com
暮らし、勉強、趣味、子育てのことなど

(編集:伊藤智央)

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