元コンサルタントな歴史家―ドイツから見た日本

ドイツの大学で歴史を研究する伊藤智央のブログ。ドイツと日本に関する批判的な評論を中心に海外生活(留学や移住)の実態をお伝えしています。その際には元戦略コンサルタントとしての経験も踏まえてわかり易くお伝えできればと思います

【自著紹介】『市民性と日本の軍国主義-1937年から1940年における言説と、政治的意思決定過程へのその影響』

2019年11月にドイツ語でMilitarismus des Zivilen in Japan 1937–1940: Diskurse und ihre Auswirkungen auf politische Entscheidungsprozesse, (Reihe zur Geschichte Asiens; Bd. 19), München: Iudicium Verlag 2019(日本語:『市民性と日本の軍国主義-1937年から1940年における言説と、政治的意思決定過程へのその影響』)(591頁、65EUR、ISBN-13: 978-3862052202)を出版しました。本書は2017年9月に提出した博士論文を基にしています。

自分の人生のうちの数年分を費やした本でもあり、我が子のようです。 現在私がもっている問題意識、分析枠組み、全てを出し尽くしています。

力を入れた作品だけに、出来るだけ多くの人に読んでもらいたいと思っていますので、日本語で本書の内容と特徴を紹介します。

日本の軍国主義、国策研究会、昭和研究会、社会ネットワーク分析

出版社の公式ページ(要約有り)はこちらとなります。

本書の目的

しばしば政治的目的の下で使われ、曖昧になりがちな「軍国主義」概念を再定義し、その上で、具体的な、歴史学の分析枠組みとして構築すること。そしてその枠組みを使って、これまでの軍事史を整理し、軍事史の新たな分析視座を見つけること。これらを上位の目的としています。

そして、軍国主義概念のその可能性を示すため、戦前期の日本を例とし、政治、社会、経済における軍国主義構造の成立メカニズムを、普遍的に存在しうる要素(「悪の陳腐さ」)から解明することを直接の目的としています。

分析対象

  • 矢次一夫、大蔵公望主宰の国策研究会(前身の、国策研究同志会および滝正雄の国策研究会を含む)
  • 後藤隆之介主宰の昭和研究会

研究手法

  • 各団体の組織的展開を、史料状況と研究関心に応じて修正・構築した、独自の社会ネットワーク分析枠組み(デジタル・ヒューマニティーズ)を用いて定量的に把握
  • 社会ネットワーク分析の結果に基づいて特定した代表的人物の言説を分析し、各団体の言説と照合。それによって個人レベルおよび集団レベルから上記、二団体の思考様式を解明
  • 上記団体の、1930年代後半の政策決定過程(下記)への関与の仕方および影響を、国研・昭研、両団体を比較しながら捉えることで両者の特徴を明確にする。また両団体の関与の差異の原因を、言説面にまで遡り追求
    • 電力国家管理法の成立過程(1937-38年)
    • 国民健康保険法の成立過程(1937-38年)
    • 総合国策10ヶ年計画の作成課程(1940年)
    • 大政翼賛会設立のための準備過程(1940年)

目次

目次は以下の通りとなっております。

1 導入
 1.1 意義
 1.2 先行研究及び史料状況
 1.3 分析手順
2 1937年までの前史:実験的試み
 2.1 国策研究同志会
 2.2 昭和研究会
3 ネットワークとしての研究会
 3.1 社会ネットワーク分析の認識論的可能性
 3.2 準備的考察:組織運営上の枢要機関及び組織構造の特定
 3.3 歴史的社会ネットワーク分析という挑戦的試み
 3.4 第一の認識関心:中心アクター
 3.5 第二の認識関心:組織の発展
 3.6 第三の認識関心:両研究会の関係性
 3.7 歴史学の道具としての社会ネットワーク分析
4 基層としての言説
 4.1 国策研究会における個々人の言説*1
 4.2 集団的言説:基本的方向性
 4.3 革新主義の一般的言説*2
5 ケーススタディ:政治的意思決定過程における影響
 5.1 電力管理法
 5.2 国民健康保険法
 5.3 1937年から1940年における政治的チャネル選択
 5.4 総合国策十ヵ年計画
 5.5 新秩序
6 「文民軍国主義」の意味するところとその可能性
 6.1 両研究会の特徴比較
 6.2 作用機序:軍国主義の市民的触媒
 6.3 「悪の陳腐さ」?軍事的なもの以外から捉える軍国主義研究の可能性*3

要約

暴力は政治の一部である。

しかしながら、軍事的なるものは独自の論理を有しており、政治における非軍事的なるものを規定することもある。こうした理解からこれまで軍国主義研究では、「軍事的なるものが非軍事的なるものを圧倒・侵食していった」現象に焦点が当てられてきた。(その好例が、市民が軍事的な価値観を受容していったことを扱った研究)しかし本研究では「軍事」と「非軍事」をそのような二項対立的な枠組みで捉えるのではなく、自ら侵食されることなく、つまり共存したまま、非軍事的なるものが、軍事的なるものによる政治領域への進出を促進するという可能性を体系立てて明らかにしている。つまり、非軍事的なるものの、「触媒的作用」に焦点をおいている。*4

そのための好例が、総力戦体制が確立されていく日中戦争期の政治意思決定過程に影響を与えた国策研究会(以下、国研)および昭和研究会(以下、昭研)である。

こうした私的研究団体の政治行動の原動力を理解するためには、その根底にあった思考様式を把握する必要がある。しかし、ある集団の思想を構成員のそれから理解しようとする場合、そもそも誰に注目すれば研究団体の思想を捉えることができるのだろうか?この疑問に答えるための道具が社会ネットワーク分析である。団体メンバーの、団体への関与の仕方をいくつかの指標から評価することで、彼らの役割は定量的に明らかとなる。

このネットワーク分析の結果によって特定できた代表的構成員の思想、及び国研、昭研の刊行物に見られた、集団レベルでの思想によると、具体的な個別政策課題から、徐々に抽象的なイデオロギーを形成していった国研と、イデオロギーから出発しながら個々の政策課題に対応していった昭研という対照的な像が浮かび上がる。

そのような思想的傾向が、両者の政治行動においてどのように表出していったのかのであろうか?この疑問に答えるための好例が、1937年から1940年にかけて戦争遂行を目的として政治体制が組み替えられていく際のマイルストーンとなった、四つの政策領域

  • 電力国家管理法の成立過程(1937-38年)
  • 国民健康保険法の成立過程(1937-38年)
  • 総合国策十ヶ年計画の作成課程(1940年)
  • 大政翼賛会の設立準備過程(1940年)

である。

実用主義に支えられた政治思想をもった国研は、1937年の電力管理法や国民健康保険法の成立過程で、具体的な争点に対する妥協点を探り、その成立に貢献したのに対し、昭研は政策内容そのものへの関心が強く、政治的妥協にあまり重きを置かなかった。

そうした政治的態度が顕著だったのが、両者による政治チャネルの選択である。国研は政治的に力をつけてきた陸軍軍務局との結びつきを重視したのに対し、昭研は近衛文麿の唱える新たな政治秩序に期待をかけていった。*5近衛へのこうした期待から、昭研は近衛を総裁とした大政翼賛会の成立(1940年)とほぼ同時期に解散した。しかし大政翼賛会のコンセプト形成に影響を及ぼすことがなく、それが将来的にも困難であったことがすでに予測できたことを考えると、昭研メンバーが大政翼賛会にすべてを賭けたことは賢明とはいえなかった。

他方で国研は、陸軍の政策プログラムである「総合国策十ヵ年計画」の策定にあたって、プラットフォームとしての役割を果たし、官僚、海軍将校、大学教員や企業重役の参加を促すことに成功した。その結果、後々まで陸軍の政治方針に影響を及ぼすこととなった。

こうした考察から民間団体が政治的意思決定過程に参加する条件には、以下のものがあったことを導き出した。

  1. 政治的・経済的・社会的秩序を変革する政策課題はそれまでの行政課題とは非連続的な関係にあった。
  2. そうした課題に国家機関が対応しようとするとき、多方面との政治的調整が必要となったが、各行政機関には、政策の非連続性ゆえに、その調整能力はなかった。
  3. その調節機能を提供できたのは、実用主義という政治思想を持ち合わせた民間団体(国研)であった。
  4. さらに、民間団体も、そして彼らを頼る官僚や軍人も、思想的に親和的、つまり、実用主義的な革新主義を共有している必要があった。

こうした条件を満たした民間団体の政治参加は、戦争遂行を目的とする政治システムの確立にとって触媒となって機能した。つまり、非軍事的なるもの(実用的思考)が、軍国主義を促進しえたのである。

ハンナ・アーレントは、動機が「怪物」的なものではないとしても、その結果として現れる行動は「怪物」的なものでありうるとした。つまり、「悪」の体現としてしか見られない行動も、その動機においては「陳腐」なものでありうるという衝撃的な結論を著書『悪の陳腐さ』の中で下した。本研究においても、理論的に精緻ともいえる昭研の思想ではなく、どこにでも見出しうるという意味で「陳腐な」実用主義を兼ね備えた国研こそが、軍事的な志向性をもつ政治体制の確立を促進したという因果関係を描くことができた。

本研究は、動機と行動結果のギャップに注目することで、軍国主義研究に、軍事的なるもの以外からのアプローチという、新たな視点をもたらしたといえる。*6

日本の軍国主義、国策研究会、昭和研究会、社会ネットワーク分析

関連する記事

*1:ここでは大蔵公望、矢次一夫、瀧正雄、池田宏を取り上げています

*2:ここでは、奥村喜和男と秋永月三を取り上げています

*3:Vorwort
1 Einleitung
 1.1 Thematische Relevanz
 1.2 Forschungs- und Quellenstand
 1.3 Vorgehen

2 Vorgeschichte bis 1937: Experimente
 2.1 Die Studiengenossenschaft für Staatspolitik
  2.1.1 Vier Wege zur Gründung
  2.1.2 Drei Phasen
  2.1.3 Verhältnis zu Ugaki Kazushige und zum Militär
 2.2 Die Shōwa-Studiengruppe
  2.2.1 Als private Beratungsgruppe Konoes: 1933–1934
  2.2.2 Etablierungsansätze als Studiengruppe: 1935–1936

3 Die Studiengruppen als Netzwerk(e)
 3.1 Erkenntnispotenziale der Sozialen Netzwerkanalyse
 3.2 Vorarbeit: Identifizierung der tätigkeitsrelevanten Organe und der Organisationsstruktur
  3.2.1 Die Studiengruppe für Staatspolitik
  3.2.2 Die Shōwa-Studiengruppe
 3.3 Herausforderungen der historischen Sozialen Netzwerkanalyse
  3.3.1 Quellenauswahl
  3.3.2 Kodierung
  3.3.3 Kompensation fehlender Daten
 3.4 Das erste Erkenntnisinteresse: die zentralen Akteure
  3.4.1 Messmethode
  3.4.2 Ergebnisse
 3.5 Das zweite Erkenntnisinteresse: die organisatorische Entwicklung
  3.5.1 Messmethode
  3.5.2 Ergebnis
 3.6 Das dritte Erkenntnisinteresse: die Beziehung der beiden Studiengruppen zueinander
  3.6.1 Methodische Anmerkungen
  3.6.2 Ergebnisse
 3.7 Die Soziale Netzwerkanalyse als geschichtswissenschaftliches Instrument
  3.7.1 Datenerfassung: Unvermeidbarkeit von „‚handgestrickten‘ Quantifizierungen“
  3.7.2 Konzipierung: Notwendigkeiten und Möglichkeiten methodischer Erweiterung
  3.7.3 Durchführung: Chance und Risiko der visuellen Darstellungsform
  3.7.4 Interpretation: doppelte „Komplementaritäten“ zur qualitativ gestützten Geschichtsschreibung

4 Diskursive Grundlagen
 4.1 Individuelle Diskurse in der Studiengruppe für Staatspolitik
  4.1.1 Ōkura Kinmochi als „Organisator“
  4.1.2 Yatsugi Kazuo als „Vermittler“
  4.1.3 Taki Masao als „Studienleiter“
  4.1.4 Ikeda Hiroshi als „Mitwirkender“
  4.1.5 Auswertung: Vielfalt und Einheit
 4.2 Kollektive Diskurse: Grundausrichtungen
  4.2.1 Die Studiengruppe für Staatspolitik
  4.2.2 Die Shōwa-Studiengruppe
  4.2.3 Diskursive Charakteristika im Vergleich
 4.3 Allgemeine Diskurse des Reformismus
  4.3.1 Reformorientierte Ministerialbürokraten
  4.3.2 „Polit-Wirtschaftsoffiziere“ des Heeres
  4.3.3 Konformität als politische Chance?

5 Fallanalysen: Politische Einflussnahmen auf Entscheidungsprozesse
 5.1 Das Gesetz zur staatlichen Verwaltung des Elektrizitätsgeschäftes
  5.1.1 Der Weg zur staatlichen Verwaltung vor 1937
  5.1.2 Doppeltes Defizit des Tanomogi-Entwurfs
  5.1.3 Die Studiengruppe für Staatspolitik und der Nagai-Entwurf
  5.1.4 Meilenstein für die Indienststellung der Wirtschaft durch den Staat
 5.2 Das Gesetz für die nationale Krankenversicherung
  5.2.1 Interessenkonflikte bis Frühling 1937
  5.2.2 Der Erarbeitungsprozess ab Herbst 1937
  5.2.3 Meilenstein für die gesundheitliche Kontrolle im Dienst der Kriegsführung
 5.3 Die Wahl politischer Kanäle von 1937 bis 1940
  5.3.1 Konoe Fumimaro und das Militär aus Sicht der Shōwa-Studiengruppe
  5.3.2 Konoe Fumimaro aus Sicht der Studiengruppe für Staatspolitik
  5.3.3 Die Beziehungen der Studiengruppe für Staatspolitik zum Militär
  5.3.4 Konformität und Pragmatismus als Antrieb für die politische (Um-)Positionierung
 5.4 Der Zehnjahresplan für integrale Staatspolitik
  5.4.1 Entwurfsprozess
  5.4.2 Die Rolle der Studiengruppe
  5.4.3 Die weitere Entwicklung im Heer und in der Regierung
 5.5 Die Neue Ordnung
  5.5.1 Das Konzept der Shōwa-Studiengruppe
  5.5.2 Die Vorbereitungsphase
  5.5.3 Der Grund für das Scheitern der Shōwa-Studiengruppe: Fehlende Praxisorientierung
  5.5.4 Die Auflösung der Shōwa-Studiengruppe
  5.5.5 Die Studiengruppe für Staatspolitik und die Neue Ordnung
  5.5.6 Bestimmungsfaktoren für den (Miss-)Erfolg der beiden Studiengruppen

6 Gehalt und Potenzial des „Militarismus des Zivilen“
 6.1 Charakteristika der beiden Studiengruppen im Vergleich
 6.2 Wirkmechanismus: zivile Katalysatoren des Militarismus
 6.3 „Die Banalität des Bösen“?: Möglichkeiten der Militarismusforschung abseits des Militärischen

Tabellen
 Tab. 1: Stammdaten für das Beziehungsgeflecht innerhalb der Studiengruppen
 Tab. 1a: Aufschlüsselung der „Quellen“ in Tab. 1
 Tab. 1b: Aufschlüsselung der „Anm.“ in Tab. 1
 Tab. 2: Sitzungsanzahl der Organe in der Studiengruppe für Staatspolitik
 Tab. 2a: Aufschlüsselung der „Quellen“ in Tab. 2
 Tab. 3: Zentralitätswerte im Original und in umgewandelter Form
 Tab. 4: Zusammengerechnete Zentralitätswerte für den gesamten Untersuchungszeitraum (Absteigend)
 Tab. 5: Dichte und Anzahl der untergeordneten Organe in den beiden Studiengruppen
 Tab. 6: Verbindungspersonen und ihre Beziehungen zu den Studiengruppen
 Tab. 7: Teilnehmerliste der FG für den Gesetzesentwurf zur nationalen Krankenversicherung in der Shōwa-Studiengruppe mit Angabe der Zugehörigkeit zu  weiteren Institutionen
 Tab. 8: Teilnehmerliste der „Untersuchungskommission zur Sozialversicherung“ mit Angabe der Beteiligung an der Shōwa-Studiengruppe
 Tab. 9: Teilnehmerliste der „Untersuchungskommission zur Sozialversicherung“ mit Angabe der Beteiligung an der Studiengruppe für Staatspolitik
 Tab. 10: Einnahmen der Pekinger Zweigstelle der Studiengruppe für Staatspolitik im Jahr 1940

Abbildungen
 Abb. 1: Anteil der Leitungsorgane an der Gesamtzahl der Sitzungen im Verlauf
 Abb. 2: Umrechnungssystem für das Jahr 1937
 Abb. 3: Positionierung der zentralen Akteure nach den beiden Zentralitätswerten
 Abb. 4: Korrelation zwischen den beiden Zentralitätswerten
 Abb. 5: Typisierung der zentralen Akteure
 Abb. 6: Strukturelle Entwicklungen der beiden Studiengruppen
 Abb. 7: Visuelle Darstellung des Netzwerks / der Netzwerke im Jahr 1937
 Abb. 8: Visuelle Darstellung des Netzwerks / der Netzwerke im Jahr 1938
 Abb. 9: Visuelle Darstellung des Netzwerks / der Netzwerke aus der Periode 1939 I
 Abb. 10: Visuelle Darstellung des Netzwerks / der Netzwerke aus der Periode 1939 II
 Abb. 11: Visuelle Darstellung des Netzwerks / der Netzwerke im Jahr 1940
 Abb. 12: Entwicklung des Verhältnisses zwischen den beiden Studiengruppen
 Abb. 13: Zusammensetzung der Einnahmen von Juni bis November 1940

Quellen- und LiteraturverzeichnisIndex

*4:軍国主義概念の整理や、先行研究への評価についてのより詳しい説明は、直接本書の第一章にあたってください

*5:こうした政治的結びつきは、独自に構築した定性的社会ネットワーク分析で実証し、方法論としての有効性も検証している。

*6:Stichwörter: Kokusaku Kenkyukai, Showa Kenkyukai, Militär, Heer, Marine, Kikakuin, Taisei Yokusankai, kakushin kanryo, Konoe Fumimaro, Elektrizität, Krankenversicherung, Zehnjahresplan für integrale Staatspolitik, Neue Ordnung, Reformismus, Kyodōshugi, Netzwerkanalyse, Digital Humanities