「日本スゴーイ!」
外国人にこうした発言をさせる番組がテレビ番組の一部として当たり前になってもう久しくなっています。
確かに、訪日外国人の個人ストーリーに密着してドラマ感を出したり、彼ら・彼女らでしか見えない視点で日本を紹介する方法は意義があるでしょう。
しかし、素人の外国人がお寺や伝統工芸を見て、ただ驚くシーンを見せるような番組には、娯楽番組であっても弊害あって一利もありません。
では、外国人が出て来て、「日本すごーい」を連呼させる番組の、どこが問題なのでしょうか?
専門性のないコメント
正統派ドキュメンタリーの構造
NHKのドキュメンタリーであれば、例えば伝統工芸職人に注目し、彼ら・彼女らの驚くような技術を紹介するような番組もあります。
これらの番組は、民放の安易な番組構成と違って、ナレーターが職人を紹介するという形をとり、視聴者にとっては、自分たちが直接*1職人を称賛するという印象が生じてきます。
図示すると以下のようになります。
(矢印の始点は称賛者、終点は被称賛者。以下同様)
称賛される対象はあくまで職人個人で、職人の意気込みやそれを支える環境が直接的に扱われています。視聴者と職人の間に余計な中間媒体が入らない分、「職人」がよりフォーカスされており、専門性の高い解説がなされることも多いと言えます。
「日本すごい」系番組の構造
それに対して、「日本すごい」系番組は外国人素人というアクターが現れてきます。
こうした番組では、外国人素人が例えば職人を称賛し、その職人を通して間接的に視聴者が称賛されるという形式をとっています。
つまり図示すると以下のようになります。
この外国人という登場人物は、
「職人はすごい」
↓
「職人は日本人」→「自分も日本人」
↓
「自分もすごい」
という構造を支えるための端役です。
こうした番組の中心的メッセージは、職人の技術を称賛することではありません。
例えば、外国人観光客が奈良や京都の神社仏閣の説明をうけて称賛している姿を見ることで、視聴者は一緒に観光している錯覚を受けますが、スタンダードな神社仏閣を紹介するのであれば、外国人観光客の視点を通してみる必要はありません。
外国人の視点を入れるのは、日本人視聴者に向けられた称賛というベクトルを導入するためです。
そのため、外国人のコメントは多くの場合、専門性も低く、教育効果も低くなっています。
ただこうした番組は、無害であるだけであれば何の問題もありませんが、実際には弊害があります。
勘違いを生み出す
弊害とは、こうした番組を通してしか外国人と接触が無いような場合、視聴者は偏った世界観をもってしまうということです。
あるとき、母にこのようなことを言われました。
テレビ番組で、「日本の書道、すごーい」というような情報が流れたのでしょう。しかし、実際には、海外での「ブーム」*2というにはほど遠い状況です。
私の周りでは、特に高齢者からそうした偏った世界観を聞くことがあります。
確かに、これはメディアリテラシーを持っていない視聴者個人の問題かもしれません。しかし、バランスのとれた情報ではなく、明らかにウソの情報(誇張した情報やマイナス面を意図的に伏せた情報も含む)を流しています。
その結果、一部の視聴者は誤解してしまいます。
テレビ局は、自分たちの社会的責任を感じないのでしょうか?
企業倫理と商業主義
こうした無益かつ、倫理面で問題のある情報を流していると、視聴者の中には本気で、「日本は世界ですごーいと思われている」と錯覚する人も出てくるようになり、偏った世界観を持った人が増えてくるのではないでしょうか。
日本が憧れの対象となっているような国も世界にはあるかもしれませんが、世界には、「日本?どこにあるの?中国の一部?」というように、日本も韓国も中国もベトナムも区別がつかない人が多くいる地域もあります。
娯楽番組で視聴率をとることが企業としての至上命題とはいえ、無益であるばかりか、誤解を与えるような番組はもう止めませんか?