元コンサルタントな歴史家―ドイツから見た日本

ドイツの大学で歴史を研究する伊藤智央のブログ。ドイツと日本に関する批判的な評論を中心に海外生活(留学や移住)の実態をお伝えしています。その際には元戦略コンサルタントとしての経験も踏まえてわかり易くお伝えできればと思います

ドイツの大学院に歴史学で正規留学した地獄体験をつづってみる

今回は、ベルリン・フンボルト大学で、史学科の大学院に留学されているしゅぶたさんに、留学生活についてご寄稿いただきました。私と同じく、歴史学かつ修士からの留学ということで、個人的には共感出来ることも多く、是非とも、ドイツ文系留学を考えている多くの方に読んでいただきたいです。

言語の障壁もさることながら、ドイツで自国の歴史に興味をもって育った人間との間には、ドイツ史に関する知識に関して越えられない圧倒的な差があります。土地勘が全く違います。私は、こうした人たちを歴史ネイティブと勝手に呼んでいますが、彼ら・彼女らとの差に―特に精神的な面で―苦しめられました。確かに自分の興味があり、読んだことのあるテーマでは(修士レベルで多くて)8割ぐらいは対抗できますが、自分の守備範囲を離れた瞬間、突き放されるように知識に落差を感じます。

と、自分の考えを語ってしまいましたが、歴史非ネイティブである日本人留学生が置かれたこうした条件を念頭において当記事を読んでいただければと思います。

---以下、寄稿記事---

はじめまして。ベルリンのフンボルト大学歴史学修士課程に在籍しているしゅぶたと申します。現在は5学期目が終了したところで、このままモチベーションを保って頑張れば、2020年の冬頃には修了できる(したい)予定です。

今回は私のドイツにおける大学生活のうち、主に大学内の生活(留学の動機、正規留学に至るまでの経緯、卒業までの課題)について紹介したいと思います。

文系で、しかも修士課程からの正規留学を考えている人は、是非参考にしてみて下さい。

なぜ私は留学したのか

学部での成績とドイツ語の試験だけで入学できるドイツの大学院

なぜドイツを目指したのか?

それは、学部時代に交換留学をしなかったため、留学に対する心残りがあったからです。交換留学を選ばなかった理由は、提携先に興味をもてる街がなかったからですが、ドイツの大学で学ぶことに対してはずっと憧れがありました。日本の大学院を受験することも検討しましたが、研究テーマが全く思いつかなかったので動機書も書けず、従って大学院と指導教授も選べなかったので候補から外しました。

ドイツの大学院について調べていくうちに、学部の成績証明書とドイツ語の試験さえ合格すればとりあえず入学させてくれることがわかったので、何も研究テーマが決まっていなかった私はドイツの大学院を受験することにしました。

このように、私の正規留学に対する動機はきわめて不明瞭でボヤっとしたものでした。就職してお金をためてから留学することも検討しましたが、「行けるチャンスがあるなら今のうちだ」と幸い周囲が背中を押してくれたため、大学卒業後に間をおかずに入学準備に入りました。

ベルリン・フンボルト大学一択だった

フンボルト大学(以下HU)を選んだ理由は2つあります。

まず1つ目は、HUの歴史学修士課程は、学部で異なる専攻の学位を修めていても入学することが可能だったからです。ドイツの大学は学部と修士の繋がりが強く、殆どの場合、学部と同じ専攻で修士課程を始めなければなりません。HUは「学部で人文科学を専攻していた者」という募集条件でしたので、独文学士の私も応募資格を満たすことができました。ただ、歴史学がどんな学問であるかも理解していなかったため、大学院で、しかも外国語で歴史学について一から学ぶのはとても大変でした。はじめの学期は何がなんだかわからないまま終わってしまった気がします。

また、ベルリンに住むことはほぼ決定事項でした。学部時代に2回ほど長期休暇を利用して滞在した際、公共交通機関の利便性という点でベルリンが最も生活しやすいと感じたからです。ここにはまだまだ訪れたい博物館もたくさんありますし、さらに、素晴らしいクラシック音楽に触れることができるのも魅力的です。一流のクラシック音楽家のコンサートがあちこちで催され、しかもとても手頃な価格で聴くことができます*1。元音楽科でピアノを専攻していた自分にとって、留学生活でどんな悲しいことが起ころうとも、素晴らしい音楽が補給できれば乗り越えられると思ったのも一つの理由です。実際、日本公演では到底手に入れられないようなウン万円のコンサートのチケットを10ユーロほどで入手して聴きに行き、CDでしかお目にかかったことのない名音楽家のコンサートを楽しむことができます。

そうしているうちに、音楽関係の友人の輪も広がりました。

大学院入学までのドイツ語との付き合い方

大学付属語学コースの入学許可を得るまで

学部ではドイツ文学を専攻していたので、ネイティブの先生のドイツ語授業を受ける機会にも恵まれました。その他は、大学における講読の授業、たまにゲーテの試験に向けて独学し(B1とB2を取得)、長期休暇に二度ほど短期滞在(2,3週間ほど)しながら現地の語学学校に通いました。

現地の語学学校探しについては、一度目は日本の留学斡旋会社を通して見つけましたが、二度目は自分でインターネットで見つけました。留学斡旋会社を通すと2万円弱の手数料が発生しますが、日本からの外国送金の手間*2や、万一の連絡ミスによって生じる不都合(ドイツで事務トラブルは日常茶飯事)を考えると、はじめは手数料を払って仲介してもらうのも良いと思います。

授業料は3週間で550ユーロくらいでした。

一度目は学校が提携している家庭でホームステイをし、二度目は学校の所有するシェアハウスに滞在しました。語学学校に申し込むと、殆どの場合において滞在先も提供してもらえるので、宿探しの心配はありません。費用はホームステイで週250から300ユーロくらい、シェアハウスは週260ユーロくらいでしたでしょうか。ホームステイは朝晩の食事つきです。

学部卒業直前にハイデルベルク大学付属の語学コースの入学許可がおりたので、4月からこちらに入学しました。

語学を学ぶというと、一般の語学学校を想像される方もいらっしゃると思いますが、大学付属の語学コースの利点もたくさんあります。まず、

学生証が配布されて学生扱いになるので、生活面でのコストが抑えられます。例えば公的健康保険に入れたり、学生用の格安定期券を入手できたりできます。また、

大学入学という目的をもった生徒しかいないので、クラスのモチベーションが高く、

大学入学レベルの語学能力を測る試験(以下DSH)に特化した授業を集中的に受けることができるため、効率よく勉強することができます。

もちろん、語学学校に比べて授業料も良心的です。1学期につき1200ユーロほど(加えて300ユーロほどの生協費用と定期代)がかかったと記憶しています。私は4月から試験対策コース(Cクラス)で集中的に勉強して7月に合格(正答率80パーセント)しました。

語学学習は終わりがなく、語学力の底上げは永遠に続きます。今でも毎日論文を読むたびに、知らない単語や表現に出会いますし、ドイツ人ネイティブよりも圧倒的に稚拙なドイツ語でゼミ発表を乗り越え、時にはネイティブですら発狂しそうな複雑な外国語文献を読み、どうしてこんな外国人丸出しの下手なドイツ語でしか表現できないのかと自分にイライラしながら論文を書かなければなりません。また一方で、日常生活で「排水溝に水を流す」といった単純な表現がわからなくてショックします。

大学に入学してから本当の地獄が始まるので、大学入学資格を得るためのドイツ語試験は、ダラダラせずに短期間で終わらせることが大切だと思いました。効率よく大学入学資格を得るためにも、大学付属の語学コースに通ったことはとても良い選択でした。

ハイデルベルク大学付属語学コースでの日々とドイツ語能力試験DSHについて

語学コースは、有名な観光地であるアルテ・ブリュッケ(Alte Brücke)を少し過ぎた、かの有名なマックス・ヴェーバーがハイデルベルク大学で教鞭を執っていた時に住んでいた自宅を改築した建物で行われました。

alte Brücke

DSH試験対策コースは、文法と読解の講師、聴解と作文の講師が交代で授業を担当します。

クラスメイトは、中国、韓国、アルバニア、キプロス、シリア、チリ、スペイン、南アフリカ、チュニジア、カメルーンから来ていました。月曜日から金曜日まで、朝9時から15時までほぼ缶詰になって授業を受けます。読解と文法のクラスでは、講師自作の文法テキストを用いて一通りドイツ語文法を復習し、並行して最終目標であるDSHの過去問をひたすら解きます。聴解と作文のクラスでも、主に過去問を中心に対策が行われます。

大学の語学コースに通わないと過去問が手に入らないため、DSHを受験するつもりであれば、受験を希望する大学の語学コースに入るのが一番無難です。というのも、大学によってDSHの難易度も出題形式も異なるからです。

試験は慣れの部分もありますので、問題の形式と対策を熟知せずにいきなり70%以上の合格率を叩き出すのは厳しいと思います(ほとんどの大学のほとんどの学部はDSH-2、すなわち69%以上の正答率でなければ学部の正規コースに受け入れてくれません)。

読解はA4一枚半くらいにわたるテキストで、Der SpiegelやDie Zeitといった新聞や雑誌から抜粋された文章からできています。ドイツの試験の特徴だと思いますが、与えられた文章を別の言葉で言い替える能力を求められます。選択式の問題はほとんどなく、主に傍線部について自分の言葉で説明しなければならない問題が多く出題されます。

文法問題も主に文章の書き換えが中心です。

作文問題は、60分でA4の紙2枚分ほどの分量を最低限書かなければなりません。問題は2題出され、グラフの描写、哲学的な問い(例えば有名な政治家の演説の引用を読んで幸福について自分の考えを述べるなど)、社会問題(死刑制度の是非など)でした。

聴解は特に大変で、15分から20分ほどのモノローグを2回聴いて記述形式の問題に答えます。1回目はA4の白紙にメモのみ可能で、2回目は問題を配られてから読み上げられます。したがって、この聴解試験は記憶能力かメモ能力のいずれかで勝負する必要があるのですが、記憶を頼りにするにはモノローグが長すぎるので集中力が持たず、メモを頼りにするにはアルファベットを書くスピードが他のヨーロッパ言語話者に比べて圧倒的に遅いので苦労します。この時ほど日本のJETSTREAMのボールペンを重宝したことはありません。

ちなみに、日々の授業態度と模試の点数も、DSHの最終成績に加味されます。

ハイデルベルク大学の語学コースには、語学コース以外にも地理や歴史といった様々なクラスが用意されています。私は大学準備クラスと歴史のクラスを受講しました。歴史クラスの期末試験では、フリードリヒ大王に対する政治家としての後世における評価について記述することが求められました。

語学コースのテキストはハイデルベルク大学の機密情報であるためご紹介できませんが、言い換えの訓練に購入したハンドサイズのDUDENの同義語・類語辞書はとても役に立ちました。

DUDENには広辞苑のような分厚い類語辞書もあるのですが、いかんせん語彙レベルが高すぎるうえ、持ち運びが困難なので、個人的にはあまりお勧めできません。試験勉強を進めていくうちに、頻繁に使用する語彙が見えてくるので、蛍光ペンで印をつけておいて同義語・類語ごと暗記してしまいます。DSH試験くらいであれば、単語の細かいニュアンスの違いでバツを付けられることもないので、最悪の場合、原文の構造を変えずに類語に置き換えるだけで解答するという逃げ方もできます。

優秀な講師と、親切で真面目なクラスメイトに恵まれて、ハイデルベルクでの3か月はあっという間に過ぎてしまいました。ここでの日々は一生の思い出です。ちなみに、この際に初めてシェアハウス検索サイト(WG-gesucht)で宿探しをしました。大学のあるハイデルベルクに家が見つけられなかったので、隣町のラーデンブルクにあるドイツ人女性の持ち家に住まわせてもらいました。

大学は地獄?課題と授業の実際

卒業までこなさなければいけない壁

DSH試験対策コースも大変でしたが、本当の地獄は入学してから始まりました。

史学科は実験によってデータをとるなどの作業はありませんが、何しろ鬼のように文献を読みます。毎週100ページ以上です。ドイツ人ですら嫌がるような、複雑で難解な文章で書かれたドイツ語です。これを読んでいれば新聞記事程度は寝ぼけていても読めるようになります。履修するゼミによっては英語の文献が大半を占めることもあります。

勉強の風景

1つのモジュールをクリアするためには、授業内でプレゼンテーション(Referat)の他に、ゼミ論文(Hausarbeit)やエッセイなどの提出が義務付けられています。

以下の表は、私の所属する史学科修士課程(現代史)のモジュールと提出が義務となっている課題一覧です。

モジュール

授業

合格に必要な課題

導入

導入ゼミ+チュートリアル

15ページのゼミ論文1本

方法論と理論

演習+演習

それぞれの演習につき15ページのエッセー2本

現代史1(主専攻)

ゼミ+演習

25ページのゼミ論文1本

現代史2(主専攻)

ゼミ+演習

25ページのゼミ論文1本

歴史学実践

演習+演習

いずれかの演習につき15ページの論文1本

研究実践

コロキウム+研究ゼミ

修論構想発表15ページ

専攻外科目

合唱3学期分*3

専攻以外の授業全て対象

近代史(副専攻)

ゼミ+演習

10ページのゼミ論文1本

修論とディフェンス

講義はなし

最大65ページの修論

というように、合計8つの提出論文と修論を乗り越える必要があります。

私はあと現代史2のゼミ論文と修論が残っており、修士論文では、BRAVOという雑誌のDr. Sommerというコラムを題材にしています。大雑把にいうと、紙版のYahoo!知恵袋のようなものです。この生活全般に関する助言コラムが、なぜ、どのようにして60年代後半に性教育のためのコラムへと変貌を遂げたのか、また、このコラムが70年代から80年代前半の若者の性道徳価値観およびドイツの教育機関における性教育にどのような変化をもたらしたのかについて調査しています。

ここまで何とかたどり着いたものの、道のりはまだ長いです。

大学生活で求められるドイツ語レベル

最後に、大学の生活を乗り切るためのドイツ語について、私の体感をお伝えしたいと思います。

この記事を読んで「もう6学期目に入ったのだから、ドイツ語も問題なく、大学生活も慣れ、課題も難なくこなしているだろう」と思われているのであれば、残念ながら外れです。

確かに、ドイツ留学をサバイバルする術は身につけました。

始めの一年は講師や学生が何を言っているのかほとんど聞き取れず「今日の晩御飯はお肉が食べたいな」とか全然違うことを考えているうちに終わってしまいました。今でも自分の守備範囲外のテーマだと、聞こえた単語で発言内容を予測することもできずじっと座っていることもあります(笑)。

妙に真面目なタイプなので、はじめは「全部きちんとこなさなければ」とドイツ語が理解できない自分を責め立てては落ち込んでばかりいましたが、そのうち、課題だけは必死にこなして生き延びるスキルや、デキそうな人を見つけて講義メモの写真を手に入れるスキル、デキそうな人を見つけてチームを作りプレゼンを乗り切るスキル、授業もなんとなくついていけるようになるスキルを修得できました。遠く離れた文化圏からやってきて、まったく異なる言語で大学生活を送り、親近感も持てない愛想のないドイツ人にまみれて頑張っているのですから、これで十分やれることをやっていると勝手に満足しています!

しかし、ゼミに行くたびにいまだに謎の腹痛に襲われ、口頭発表がある日は「今日こそ地球に隕石がおちてくれないか」と願って授業に向かいます。長期休暇でゼミ論文を書きますが、まず、選んだテーマの先行研究を読むのにネイティブの何倍も時間がかかり、それを自分なりに消化できるまでが長いです。その段階を経たのち、問いを立ててまとめる作業で頭がパンクし、書き始めると稚拙で同じ表現しか思い浮かばない自分にイライラして発狂します。内容のクオリティまでこだわることができるようになる頃には、自分のテーマが大嫌いになり、アルファベットに対するアレルギー反応を起こします。(※個人の感想です)よくこんな心理状態を繰り返しているものです。

というわけで、本日も続きを頑張ります。

お読みいただきありがとうございました。次の記事では留学生活のうちでも大学の外、つまり、私生活についてお届けします。

著者紹介

しゅぶた

Twitter:しゅぶた(@butapon717

(編集:伊藤智央)

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*1:30歳までという条件がつきますが

*2:現地の口座がないとめちゃめちゃ面倒くさいです

*3:私は専攻外科目として音楽学専攻の実践モジュールにある合唱演奏を選択しました。このモジュールでは、合唱かオーケストラでの演奏活動を選択し、いずれも毎学期末にベルリンの演奏会場や教会でコンサートに出演することができます。1学期につき5単位を取得することができるので、3学期でこのモジュールの全15単位を揃えました。