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元コンサルタントな歴史家―ドイツから見た日本

大学で近代日独軍事史を研究する伊藤智央のエッセイ。ドイツと日本に関する批判的な評論を中心に海外生活(留学や移住)の実態をお伝えしています。その際には元戦略コンサルタントとしての経験も踏まえてわかり易くお伝えできればと思います。

距離表現にみるドイツ人と日本人のコミュニケーションの違い

ドイツ ドイツ-生活一般 日本 日本-政治・経済・文化

ドイツ在住の日本人がドイツ人から質問されて答えに窮するものがあります。

それは、「東京と大阪ってどれくらい離れてるの?」といった地理に関する質問です。
このような地理系の質問にはいろんなバリエーションがあり、日本列島の長さに関する場合や皇居の大きさといった面積に関する場合、または各都市の人口に関する場合もあります。

東京・大阪間の距離に関するこの質問にどのように即答しますか?

通常は、新幹線で2時間半だよ、というような答えが返ってくると思います。しかし、ドイツ人はこれでは納得しません。

彼らが期待している答えは「大体500kmです」というような、メートルで測った答えです。

面積を聞かれた場合も同様です。皇居ってどれくらいの大きさなの?という質問には東京ドーム25個分という答えでは納得しません。「115万㎡」が期待されている答え方です。

しかし日本にいる限り、東京・大阪間や東京・横浜間が何キロ離れているとか考えないですよね。電車で何分、車で何分といった回答で大体は通じます。

日本の新幹線とドイツのICE

「新幹線で○時間」は社会の均質性を前提とした表現

二つの都市間の距離の場合を例にとって、なぜドイツ人は実際にかかる移動時間ではなく距離を知りたがるのかを考えてみます。

何か具体的なものを基準として、その倍数で距離を表現する場合(車や新幹線で~分という場合)、以下の二つの前提条件が成立している必要があります。

①その単位に関する理解を聞き手が共有している

話し手が単位としている新幹線といった乗り物(以下、「A」)の速さを、聞き手は知っている必要があります。

聞き手にとって、新幹線という物が未知のものである場合、いくら東京・大阪間が新幹線で2時間半と言われてもピンと来ません。日本に来たことがなく、知識もない外国人が聞き手となる場合がその典型的な例となります。

日本にいて、日本人同士、または日本に関心のある外国人と話している限りでは、新幹線についてイメージが共有されているため、距離を新幹線の所要時間で表してもコミュニケーションが成り立ちます。

②その単位が聞き手にとって重要である

聞き手も一般的に「A」で移動しない場合、「A」で何時間かかるという情報は聞き手にとって意味を持ちません。例えば、自転車で東海道を移動したい人にとっては、自転車で何日かかるのかという情報のほうが重要になってきます。

ただ、日本で東京・大阪間を移動する場合はたいていは新幹線での移動となるため、第二の条件も満たされています。

上記の二つの条件が満たされるときにのみ、何か具体的な移動手段による所要時間を用いて距離を表現しても、聞き手は理解できることになります。

つまり、前提知識や行動パターンが比較的均質な社会である日本という特殊な環境下でのみ成立するコミュニケーションの仕方です。

客観的な単位を好むドイツ人

日本人とは対照的に、ドイツ人はそもそも相手に同様の前提条件が成り立っていることを予期していません。

第一の条件「当該単位に関する共通理解の存在」の欠如

話し手がどのような車を使い、どのような運転スタイルをとっているのかが様々で、また相互乗り入れをしている高速鉄道の速度も国によって異なり、かつルートも複数の可能性が存在するために、車や高速鉄道と一口に言っても、そのイメージに関して共通理解が存在しているとは限りません。つまり、各移動手段の速度とそのルートが多様なため、距離に関する共通理解が存在しえないことがあります。

よってドイツでは、第一の条件が成立しません。

そのような環境下におけるコミュニケーションでは、始めからお互いが共通理解をもっている可能性の高い、より客観的な単位であるメートルを基準に会話が進むことになります。

第二の条件「聞き手にとっての、当該単位の重要性」の欠如

次に第二の条件について見ていきます。

第一の条件で述べたことの繰り返しになります。

例えば、200~300km程度離れた二都市間を移動する手段は多岐にわたっています。車、高速鉄道(ICE)、高速バス(Fernbus)の利用に関する分散度は日本よりも高いです。さらに車使用者に限ってみても、100km/hぐらいでゆっくり走る人もいれば、150~180km/hと飛ばす人もいます。

一言で言えば、人によって移動時間はかなり違ってきます。

そうなってくると、180km/hで車を飛ばす人が、高速鉄道利用者に対して、AからBまで車で2時間といっても、その情報は聞き手にとってどうでもいい情報で、聞き手にとっては電車で何時間かかるのかが知りたい情報です。

よってドイツでは第二の条件も成立しないことになります。

まとめ:社会における均質性・多様性はコミュニケーションの仕方に影響を与える

ドイツでは、ある乗り物での所要時間で距離を表すことはあまり意味をなしません。というのも、その乗り物の速度やルートに関する共通理解がなく、移動方法が多様だからです。その多様性を無意識のうちにもコミュニケーションの前提として置いているからこそ、より客観的な単位を使った表現が一般的となっているのでしょう。

ある意味、異文化とのコミュニケーションを前提としているとも言えます。

それに比べて日本社会では、前提知識と行動パターンに均質性が見られます。そのために阿吽の呼吸でコミュニケーションが出来てしまいます。便利ではありますが、そうした前提条件を持っていない人とコミュニケーションする場合、より客観的な基準を用いたコミュニケーションが求められ戸惑ってしまいます。ある意味、特殊な条件下でしか成立しないタイプのコミュニケーションでしょう。

個人的には後者のコミュニケーションのほうが楽でいいですけどね。

*もちろんドイツでも徒歩○分といった、所要時間を単位とした距離表現はあります。しかし、ドイツでは日本よりもメートルを使った表現がより多く使われます。そのため、ここでの分析は、ある一つの側面のみに焦点を絞ったものとなっています。

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