元コンサルタントな歴史家―ドイツから見た日本

ドイツの大学で歴史を研究する伊藤智央のブログ。ドイツと日本に関する批判的な評論を中心に海外生活(留学や移住)の実態をお伝えしています。その際には元戦略コンサルタントとしての経験も踏まえてわかり易くお伝えできればと思います

ドイツ人が日本車を見下すのはなぜなのか

ドイツ人は日本車を蔑視することが多いです。

私が見聞した限り、ドイツ人が日本車を低く見るときの論理としては、日本車は内装が悪いし、馬力も少ない、だからドイツ車のほうが優れているというようなものが挙げられます。

日本車に限らず、ドイツ車以外に対してドイツ人は一般的に同様の反応を見せます。

ではドイツ人は何故このような反応するのでしょうか。

ドイツ車が並ぶ街並み

表面的には彼らがナショナリズムから自国車を称賛しているように見えます。そのような面もなきにしもあらずですが、ドイツへの誇りからだけでこのような反応をしているわけではありません。

ドイツ人は実際の乗車体験からこれらの結論を導きだしているように思えます。

実際の経験から他国車を見下している

問題はこの乗車体験にあります。

彼らの話を丁寧に聞いてみると、彼らは同じ価格帯の車を比較していません。「トヨタは安物のガラクタ」と彼らが言うとき、彼らが念頭においている比較の対象はアウディといった車です。

アウディとトヨタのセダンでは価格帯が違います。

ベンツやアウディのほうが価格帯は上なので、もちろん内装や馬力が違うのは当たり前でしょう。土俵が違う別のものの比較という意味での、いわゆるリンゴと梨との比較です。

日本車と比較するのであれば、その対象となるのは高級ブランドのレクサスかアキュラ、もしくはインフィニティでしょう。

彼らは不公平ともいえるこうした比較を行うことによって得たイメージを一般化します。「トヨタやホンダがガラクタ」ならば、日本車は全部ガラクタのようなイメージとなってしまいます。

そのようなドイツ人の態度は他の日本車へも適用されます。

例えばトヨタの水素電池車ミライに関する記事でもドイツ語での記事は冷ややかです。

www.faz.net

上での記事では補給所の少なさだけでなく、走りの悪さと値段の高さを指摘することで全体的な基調を否定的な言葉で閉じています。*

*確かにアメリカ人の記事にもミライに関する否定的な記事は存在します。

参考:First Drive Report: 2016 Toyota Mirai Hydrogen Fuel Cell Sedan | Transport Evolved

半分しか水が入っていないか、半分も水が入っているのか

指摘されているミライの問題は確かに否定できませんが、水が半分入ったコップを見て、「まだ」半分入っていると考えるか、半分「しか」ないと考えるかの違いがあるとは思います。

つまり、いい点を積極的に強調するのか悪い点ばかりを探そうとするのかという分岐は、もともとの先入観にも影響されるのではないでしょうか。

ただし、最近の日本車は走り心地にこだわるヨーロッパ人好みではないことはしっかりと認識しておくべきではありますが。

*ドイツ人と一括りにしていますが、上記に当てはまらないドイツ人ももちろんいます。ここではあくまでドイツ人の全般的な傾向について述べています。

関連する記事