アマゾン・プライム(ドイツ版)で『高い城の男』"The Man in the High Castle" シーズン1を見ました。
日独が第二次世界大戦で勝ち、アメリカを二つに分けて占領した世界で、アメリカ人が抵抗していくというSFモノです。日本とドイツがアメリカを舞台として扱われているので、日本人にとってもある程度当事者感をもって鑑賞できるのではないかと思います。
『高い城の男』とは
日本人は戦争に負けたという悔しさから、漫画の『ジパング』のように第二次世界大戦での「もしも」という話が好きですが、この『高い城の男』の場合は、戦争に負けていたらやばかったという恐怖から来る「もしも」の話です。
さて内容ですが、SF歴史物としてはポップコーンを見ながら楽しめるという意味で面白いのではないかと思います。
キャラ設定がミステリアスになっており、しかも舞台が西から東、さらにはドイツへと変化に富んでいます。
原作について
原作は1962年の同名の小説ですが、1959年にドイツの国家社会主義労働者党(以下、ナチス党)のイデオロギー に沿う形で設立されたアメリカ・ナチ党を念頭に書かれていたのでしょうか。両者は、時期的にちょうど重なってきます。ナチス・イデオロギー支配下のアメリ カというのは、当時政治的にある程度現実味を帯びたシナリオだったのかもしれません。
センセーショナルな広告
すでに事前の広告が物議を醸し出しており、私もその報道によってこのドラマを知りました。認知度の向上という意味では広告は成功だったでしょう。
広告ではニューヨークの地下鉄の座席を日本とドイツの支配を想起させるモチーフで飾り、乗客に「どちらの側につくのか」という選択を迫っています。
(下のニュース参照)
ここでは日独両方の観点から、特に面白かった点を挙げておきます。*
*時代考証ではありません
日独対比から見る、アメリカにおける両国のイメージ
①ドイツと比べて薄い日本の影
やはりアメリカ人の脳裏により強く焼きついているのは日本よりもドイツなのでしょう。ドラマでは日本とドイツを対比させるような表現が多く出てきますが、日本語の表現のほうはどちらかというと、アメリカ人もある程度知っているようなドイツ語表現の対比として、無理に使われているような気がします。
そのような表現として以下のような表現が挙げられます。
Great Nazi Reich |
←→ | Pacific States (アメリカの日本占領地域) |
SS (親衛隊) |
←→ | Kempeitai (憲兵隊) |
Reich(ライヒ=帝国)が何かはある程度アメリカ人も知っているかもしれませんが、Pacific Statesという表現は英語まるだしで、Reichに匹敵するほどの存在感を持った言葉が日本側にはなかったのでしょう。
親衛隊と憲兵隊を比べてみても、やはり憲兵隊の知名度は下がります。
②日本の精神主義 vs ドイツの物質主義
日本を過度に精神主義の権化のように描いているところがあります。例えば一方で、Trade Minister(貿易相)を演じる日本人が易を信仰していている姿が映されており、この易の予言が会話の一定の部分を占めています。
他方で、ドイツ側が日本人を理解できない様子が描かれたり、ドイツ人の飛行機製造技術にける飛びぬけた技術力が賞賛されています。
③アメリカ側協力者の有無→アメリカ人にとって異質な日本人
ドイツ側の支配機構にはアメリカ人高官がいます。それに比べて日本側は、行政機構の実際の執行者として確かにアメリカ人がいますが、高官については日本人が中心です。
②で挙げたように、日本の精神主義はアメリカ人にとっては異質すぎて、その中心にアメリカ人を登場させるのは不自然だったのに対して、物質主義的な色合いが強く描かれているドイツ支配側については、アメリカ人にも理解できるところがあったため、アメリカ人高官を登場させたのでしょう。
アメリカにおける、ドイツの圧倒的な存在感
いい意味か悪い意味かはおいておいて、アメリカにおけるドイツの存在感は日本のそれよりも強いのでしょう。普通のアメリカ人の中での歴史イメージにおいて、日本はドイツの子分のように映っているのでしょうか。
いずれにせよ、緊張感も盛り込まれており、歴史好きにとっても、そうでない人にとっても面白く仕上がっていると思います。
ぜひともおススメですので、ご覧になってください。
余談:アメリカ人のドイツ語
英語で見ていた*1ので、アメリカ人がたまにドイツ語を話す機会があるのですが、アメリカなまりのドイツ語は 何度聞いてもニヤついてしまいます。ドイツ人が話す、ドイツ語なまりの英語をアメリカ人が「じゃがいもを食べながらしゃべっている」と悪口をしているのも知っているので、なまった発音が面白く聞こえるのはどこでも同じなのでしょう*2
SS大将(Obergruppenführer)の発音がもごもごしていて、アメリカ人が話しているリアル感が伝わってきます。こういうリアル感は好きです。
SF歴史物ではありませんが、司馬遼太郎のようなノンフィクション歴史物を歴史学の立場からどのように取り扱っていけばよいのかについて、論文を刊行しております。『ヒトラーの共犯者 下』新版(2015年版)に収録されております。この論文の意義は以下の関連記事の中でまとめておりますので、併せてご覧ください。