元コンサルタントな歴史家―ドイツから見た日本

ドイツの大学で歴史を研究する伊藤智央のブログ。ドイツと日本に関する批判的な評論を中心に海外生活(留学や移住)の実態をお伝えしています。その際には元戦略コンサルタントとしての経験も踏まえてわかり易くお伝えできればと思います

文章にメリハリをつけるためのたった1つのテクニック

「まだ例を言えるけど、ここでは諸事情によりこれ以上言いませんよ」という意味で「など」、「とうとう」という言葉は使われます。確かにこの言葉は便利ですが、使い方によってはむしろ文章/発言の内容の信憑性を貶めてしまいます。

こうした曖昧な言葉を使わないように努めることで、話し手の意識も変わり、言葉の使い方を意識するようになります。それによって文章/発言の質にも変化が生じてきます。

選挙演説
(特に政治家の発言に「など」や「とうとう」が聞かれます)

「など」が使われるための前提条件

そもそもこの言葉は省略を示している言葉なので、省略されているものの存在を前提としています。そのため、釈明の機会がなければ、そもそも何が省略されているのか永遠にわかりません。わかっているのは話し手/書き手だけです。

ですので、質疑応答の機会があってこそ生きてくる言葉なのです。

「など」を使うべきではない状況

例えば会話においては、すぐ聞くことで内容を確認でき問題ありません。

しかし、文章の執筆や国会答弁でこの言葉を使うのは無意味、かつただの責任逃れでしょう。というのは文章や国会答弁の場合、その場で話し手に聞き返す機会も少なく、「など」を使うことができる前提条件が欠如しているからです。

結局この言葉は、抜け漏れの批判を後になって避けるためにしばしば使われてしまっています。すなわち、後になってから、「言った言ってない」の問答を避けるためのアリバイです。

国会答弁や記者会見、または講演会で政治家が正確を期するために「など」や「とうとう」という言葉を使っていますが、「など」によって省略されている事柄をその場で本当に全部列挙できるのかと疑問に思います。恐らくできないでしょう。

「他にあるかもしれないけど、よくわからないからとりあえず曖昧な言葉を使って逃げておこう」という意図を感じてしまうのは考えすぎでしょうか。

「など」は結局玉虫色の言葉で、何とでも解釈できる言葉なのです。

言い切ることで、文章/発言に緊張感が生まれる

そもそも聞き手に、「など」の内容を完全に自分で想像する努力を強いるというのは、聞き手に自分の考えを正確に伝えようという意図がそもそもないからでしょう。「など」という言葉を書いたり話したりする時間/紙幅があれば、その分もっと有意義な情報を伝えて欲しいです。

そのような言葉を使わず、しっかり言いきる責任をとるからこそ、変なことを言わないように必死で考え、調べます。その結果、発言がより正確になっていきます。

可能な限り正確に伝える努力をする。それが公的な場での発言者としての礼儀であり、かつその人の言葉の信憑性を高める近道と言えるでしょう。

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