さて、日本人同士の結婚と比べて、国際結婚をしていると日常生活においてどのような違いがあるのでしょうか?
多くの場合、国際結婚であろうと、「国際結婚」自体のメリットを目当てに結婚するのではなく、相手の個性に魅かれて2人の人間が結びつくことが大切です。ですので、相手との相性がよければ、国籍や文化はあまり気にしなくてもよいと考えます。
しかし国際結婚においては、たとえ国籍・滞在許可取得や、言語習得のスピードが上がるという実益的な面から結婚していなくとも、2人の文化的・言語的背景の違いから、メリットやデメリットが表れてきます。
ここで挙げるメリットやデメリットは、多かれ少なかれ、日本人同士のカップルにも見られることなのですが、国際結婚の場合、そうしたメリット・デメリットがより強烈な形で表れてきます。
そのため、ここでは私の体験を踏まえながら、国際結婚にオプショナルでついてくるメリット・デメリットを挙げていきます。
良い面:2人の違いを尊重できるとき
国際結婚の長点は、2人の文化的・言語的差異にお互いが興味を示し、それをうまく利用した場合に表れてきます。
文化面:新しいことの連続
たいてい、2人とも全く違った環境で育っているため、相手の文化は自分にとって全く未知なことも少なくありません。
「何でそんなことするの?おかしいでしょ」というようなつっこみから、「そっちのほうが、自分が今まで考えていたことよりもいい考えかもしれない」というな学びまで、未知との遭遇に満ちています。
好奇心の強い人にとっては、国際結婚は、新しい世界の入り口です。
相手パートナーを通して、相手の国の現地人とも知り合う機会も多くありますし、自分の感覚では理解できない現地の慣習についてもパートナーに直接聞くこともできます。
こうしたことは、単なる旅行者としてはなかなか難しいことでしょう。
言語面:24時間、個人レッスン
国際結婚では、相手は日本語以外の言語を母語としていることが大半です。
そのため、24時間フルで相手の言語が学べます。もちろん相手の資質次第で、言語学習の伸びは変わってきます。
文法の間違いをその都度、忍耐強く丁寧に訂正してくれると言語も上達しやすいのですが、相手が自分の言語上達に関心をもっていなかったり、忍耐強い人でないと、訂正してくれず、結局は間違った癖が残ってしまって上達しません。
また、相手が訂正してくれたとしても、自分がその訂正にどれだけ忍耐をもって受け入れられるのかも問題です。
知り合って始めのうちは問題ないかもしれませんが、話している内容をいちいち身近な人から訂正されるとイライラするものです。身内に教えを乞うと、その関係の近さゆえに、自分の間違えをなかなか認めたくない自分がいることに気付くことも少なくありません。
簡単な例を挙げると、
というように、いちいち間違いを指摘されるとイライラします。しかし間違いをそのままにして会話が進むと、その間違いが癖として残り、いつまでたっても治りません。
相手や自分の資質の違いによって差は出てきますが、言語の差をうまく使いこなせれば、24時間タンデムが可能です。
悪い面:2人の違いが面倒くさく感じられるとき
悪い面は、良い面の裏側となります。
国際結婚の良い面が見られるのは、相手の文化や言語に興味がある場合です。しかし、国際結婚をしているからといって、相手の文化や言語に興味があるというわけではありません。
冒頭にも挙げた通り、相手の容姿や性格に魅かれて結婚する場合や、経済的な理由から結婚する場合もあるでしょう。
そうした場合、相手との文化的・言語的差異は単に争いの火種でしかありません。
文化面:文化の違いはケンカの火種
日本人同士でさえ、生まれ育った環境が違うと、共同生活をする上で争いがおこりやすくなります。
日常の些細な出来事がほとんどなのですが、これが大ゲンカの元になります。国際結婚の場合、この文化の差が大きく表れてきます。
外部の人間と、身内の人間、どちらを優先する?
例えば、私の体験談を挙げておきます。
あるとき、私の友人と妻が一緒に食事か何かをしていたとき、妻よりも友人のほうに気を使ったことがありました。
しかし、外部の人間(友人)を、内部の人間(妻)よりも優先的に扱ったことに、妻(欧米人)は切れていました。
自分側の人間を下げて、外部の人間を持ち上げて扱うのは日本ではよくあることなのですが、彼女は逆の価値観を持っていました。外部の人間の前で、身内の人間を低く扱うのはけしからんと。
この場合、妻的には、友人よりも自分を優先させるのが当然だったようです。
もし相手の文化への興味や知識がない場合、こうした考えの違いは、お互いの人生哲学への攻撃になり、どんどんケンカは発展していくでしょう。相手の文化的背景に関する知識もなければ興味もないとすると、妥協の余地はなくなります。
繰り返しますが、国際結婚をしているからといって、相手の文化について大学で専攻するほど興味があるとは限りません。
実際、日本人と結婚していても、日本の文化や国について興味をあまり示さないドイツ人もいます。
パーティーにパートナーは同伴する?
もう一つ例を挙げておきます。友人(日本人)だけを招待して、あるパーティをしたときの話しです。
招待客は私の大学時代の友人が中心だったので、その場に彼女は呼びませんでした。
そもそも彼らと彼女は知り合いでもないですし、話は大学時代のことがメインになるため、彼女にとってつまらなくなると思ったからです。
しかし、ドイツでは、パーティにパートナーが同伴することも多くあります。男友達同士で集まるということもありますが、パートナーに初めから出席の有無を聞かないこと自体、人によっては相手をないがしろにしていると思われても仕方のないことです。*1
こうした問題では、2人のうち、どちらかが折れない限り平行線です。どちらのシステムが良い悪いという問題ではなく、どちらの文化の価値観を優先させるのかという問題です。
そうした場合に、自国の文化圏で身に付けた感覚を捨て、相手と妥協点を探ろうとしなければ、大ゲンカになります。
言語面:コミュニケーションでの誤解はケンカの火種
言語面でも、少なくとも片方が母語ではない言語で話しているので、誤解も生まれやすくなります。
ある事柄について相手が何か説明したとしても自分が聞き取れない場合があります。そのとき、相手はもう説明したつもりなので
という言葉がイライラ感を含みながら飛んできます。
もしくは、ニュアンスの微妙な違いが読み取れず、相手を誤解して、そのままケンカがエスカレートすることもあります。結局は、
という、言い訳をしなければならないほど、誤解が積み重なっていくこともあります。
*ただ、ここだけの話しですが、「自分は母語者じゃないから誤解した」「相手は母語者じゃないから誤解した」ということにしてしまって、前言を自然な形で撤回することもできます。これによって、ケンカの円満な解決が可能です。言語の理解度の差を利用した裏技と言えます
国際結婚に妥協はつきもの
国際結婚の良い面と悪い面のうち、どちらが強く現れるのかは、その人個人の事情によるところが大きいと言えます。
相手の文化や言語への関心が大きければ大きいほど、相手との違いを理解し尊重しやすくなりますが、そうではない場合、国際結婚にはケンカが絶えなくなるでしょう。
大切なことは、相手への思いやり
一般に相手とのコミュニケーション言語や生活様式について、以下の3パターンがあります。
- 自分に合わせる
- 生活文化:日本
- 言語:自分の母語(日本語)メイン
- 相手に合わせる
- 生活文化:相手国
- 言語:相手の母語メイン
- お互いにとって中立地帯を基盤とする
- 言語:英語(二人とも英語の母語者ではない場合)
私は①と②を交互にしています。
しかし人によっては、①パートナーが日本語を話すことを前提とした国際結婚や、逆に②パートナーが日本に全く理解を持たないため、自分が相手に合わせる場合もあります。また、③英語で会話をしている夫婦(英語非母語者)もいます。
しかし、どのような形態をとろうとも、2人の異なる人間が共同生活をしている以上、生活習慣や言語においてどちらかが歩み寄りをする必要があります。その歩み寄りの負担がどちら側により大きく降りかかってくるのかは、上に挙げた3つのパターンによって変わってくるのではないでしょうか。
ただ、一番大切なことは、相手への思いやりです。その思いやりさえあれば、相手の言動を理解しようという努力が生まれてきます。
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*1:個人差があります