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元コンサルタントな歴史家―ドイツから見た日本

大学で近代日独軍事史を研究する伊藤智央のエッセイ。ドイツと日本に関する批判的な評論を中心に海外生活(留学や移住)の実態をお伝えしています。その際には元戦略コンサルタントとしての経験も踏まえてわかり易くお伝えできればと思います。

【ワーク・ライフ・バランス論】なぜ人は休日にしっかり休む必要があるのか?

仕事術 仕事術-その他

友人など周りを見ると、休日まで仕事を入れている人もいますが、それには違和感*を感じます。

*あくまで個人的な感想です

なぜ休めないのか?それとも休みたくないのか?

自分も基本的に仕事人間なので、「仕事にしか熱中できない」ということが、どれほど心の「貧困」を表しているのかが理解できます。

そこで、なぜ人は休日に(仕事から)距離をとる必要があるのかについて説明していきたいと思います。

仕事と休暇のバランス

私の生活リズム

私は例外的な場合を除き、休日には仕事に手を付けないようにしています。金曜日の夜あたりは、仕事のことをまだ考えてしまいますが、土日には仕事のことはきれいさっぱり忘れるようにしています。

もともと、自分ひとりで生活していたときは、休日もへったくれもなく仕事をしていました。早く仕事を終わらせることに安心を感じていたからです。もしかしたら、何もしないことに、焦りを感じていたのかもしれません。

しかし、1人ではなく共同生活を始めてからは、相手の生活リズムも考慮しなくてはならなくなりました。

その結果、当初は強制的な形ではあったのですが、休日はしっかりと休むことになりました。

しかし、休日にしっかり休みをとることで、以下の2つの利点が見えてくるようになりました。

定期的に休むをとることで得られる2つのこと

①人生に幅を持たせる

それは、平日にはできないようなことができるということです。

このように書くと当たり前のように聞こえるかもしれませんが、実際には結構有益なことです。

平日の仕事といえば、一旦目標を定め、それに向かって効率的に進んでいくものが多いのですが、休日はその仕事から一旦離れて物事を考えることができるので、目標それ自体について本当にそのままでいいのかどうかと疑ったり、仕事とは直接関係のないことに没頭します。

むしろ、「休日に仕事をしない」と宣言した段階で、平日の仕事についてメタレベルで考えることを強制されます

平日の仕事と関係のないことであれば、何をしても、何もしなくてもよいと思っています。そうすることで、人間としての幅も広げることができます。

例えば、私が休日にしていることと言えば、

  • ブログを書く
  • 仕事に直接関係のない本を読む
  • 散歩に行く
  • 遠出する
  • (昔)ゲームをする

ぐらいになります。

はっきり言って何をするかは関係ないと思います。仕事をしない時間を作ることに意義があります

②仕事の勢いを長期的に維持する

休日にしっかり休むことの意義は、それとは別にもう1つあります。

それは、平日に仕事をしているとアドレナリンも高まり、仕事に集中して取り掛かっています。そのため、金曜日の夜に、すぐ仕事を止められるかと言われると、どうしても頭の中では仕事のことを考えてしまいます。

しかし、勢いに乗っているからこそ仕事を中断する必要があると考えます。

というのも仕事に乗っているときは体にどれだけ負担がかかっているのかを自覚することが少なくなります。そのため、そのペースで仕事をしても体や精神がもちません。むしろ休憩を定期的にはさむことで、その勢いをより長く持続させることができます。

例えるなら、汽車がひたすら石炭をくべられて加速していき、最後の車体が耐えきれず壊れてしまう感じです。

知らない人もいるかもしれませんが、『幽遊白書』の戸愚呂(弟)の末路と同じです。力を出し過ぎると、最後は肉体がついて行かず崩壊します。つまり、バーンアウトして(燃え尽きて)しまいます。

カードダス 幽遊白書 126 戸愚呂(弟) 幽遊白書 122 フルパワー 戸愚呂(弟) シングルカード 幽遊白書 166 戸愚呂(弟) カードダス

つまり、長期的に考えると、適度な休憩、それも強制的な休憩をした方が、仕事の効率が上がります。

ワーク・ライフ・バランスには、経済外の論理が必要

旧約聖書に見る「労働の禁止」

そのように考えてみると、旧約聖書に載っている「日曜日の労働禁止」という掟は、先人の知恵のように思えてきます。

6日間は働かなくてはならない。7日目は神聖であり、シャバット、主を讃えるための安息日である。この日に働く者は死をもって罰せられなければならない。(Ex 35.2)
シャバット[安息日]にはどの家においても火を起こしてはならない。(Ex 35.3)*1

この7日目に関して課せられた掟は、「働く必要がない」ということではなく、「働いてはいけない」ということです。

*ちなみに、私はキリスト教徒でもユダヤ教徒でもありません。無宗教です。上記の引用も勧誘のためでもなんでもありません。安心してください。

日本のお正月

似たような掟としては、お正月のお節料理@日本があります。結局大晦日が大変になってしまうのですが、お正月は料理をする必要がないようにとお節料理を前もって作っておきます。

しかし、慣習という性格からなのか、お正月に料理をする必要がないというぐらいの受け止め方なので、料理をしてはいけないという禁止事項にまではなっていません

経済論理と経済論理

恐らく、「働く必要がない」という程度の戒めでは、人間は金銭的な欲望や、周りからの強制によって結局働いてしまうのではないでしょうか。

経済論理の限界

労働環境も規制緩和すると、完全な自由(というよりも放縦)になっていきます。そうなると、長期労働の傾向には経済の論理だけでは、歯止めがかからなくなります。

雇用主側にとって、長期労働を厭わない労働者は、必要なときにだけ長期労働させ、仕事が少ないときには通常の労働時間が可能な存在です。

仕事が減っても増えても、解雇や新たな雇用の必要がありません。加えて、サービス残業などさせられるものなら雇用者としてはウハウハです。ウハウハというよりも、もしライバル企業がそのようにして経費を抑えて、それで浮いた分を別の分野に回しているのであれば、自社としても対抗せざるをえません。

これが、完全自由競争の先に待っているものです。つまり、他社もやってるから、自社もやらざるを得ないということです。

労働者間の競争においても、必要なときにいつでも長期労働ができる労働者のほうが、上記のような競争環境にいる雇用主にとって便利なため、就職の際に有利になります。

労働者にとっても労働市場で勝ち残っていくためには、長期労働を厭わない態度が必要となります。

経済論理の意義

これは、経済内の論理だけでは、好むと好まざるとを問わず、労働者が仕事の奴隷となってしまう危険があることを意味しています。

そのため、倫理や宗教という外部の論理によって、「定期的な休憩なしに働く」ことを禁止することでしか、心の休息は得られません

その意味で、経済外の論理から導き出した「労働の禁止」は、人生を仕事だけに終わらせないための仕組みであり、先人の知恵なのではないでしょうか。

旧約聖書にあるように、「休日出勤したものは死刑」というのは極端ですが、政治や宗教・文化という経済外の論理によって思い切って規制することでしか、ワーク・ライフ・バランスは維持できないと思われます。

関連する記事

*1:Ex 35.2 Sechs Tage soll man arbeiten; der siebte Tag ist heilig, Sabbat, Ruhetag zur Ehre des Herrn. Jeder, der an ihm arbeitet, soll mit dem Tod bestraft werden. Ex 35.3 Am Sabbat sollt ihr in keiner eurer Wohnstätten Feuer anzünden. 引用元:Das Buch Exodus, Kapitel 35 – Universität Innsbruck []内は引用者補足