ドイツで難民問題が盛んにメディアを賑わせるようになって以来、家の前の道を難民と思われる若い男性や子供が歩いているのを見かけるようになりました。たまに難民の子供たちが前の道路*で自転車に乗ったりして遊んでいる光景もそれ以来見られるようになりました。
*道路といっても住宅街の中の行き止まりの道路なので、ほとんど車はないために遊んでいても危険ではありません。
ドイツではあまり見かけない光景なので、この子供たちが遊ぶ風景を見て何か不思議な気持ちになりました。そもそもドイツの子供たちは、公園やそれに併設された運動場で遊ぶか、家で遊ぶかが多く、道路で遊んでいるのはほとんど見たことがありません。*
*子供はいないので、あくまで外部から観察した印象+ドイツ人に聞いた話です。
では、どうしてドイツ人の子供は道で遊ばずに、難民の子供は道で遊ぶのでしょうか。自分の子供時代も思い出しながら、考察してみます。
難民の子供と1990年代の日本の子供の類似性
難民の子供たちが道路で遊んでいる様子や声を聞いていると、自分の子供時代を思い出しました。
私は1990年代前半に大都市のベッドタウンで育ちましたが、そのころは道路や駐車場で遊んでいました。もちろん家でゲームしたりもしていましたが、町全体を使って走り回ったり、ボール遊びをしたりしてしている時間も多かったと思います。
今思うと、駐車場でのボール遊びは、駐車している人にとっては大変なことをしていたと思います。
道路を遊び場とする理由の手がかり
まず手がかりとして1990年代の子供時代に考えられうる遊び場を挙げてみます。
そうなるとまずは家、そして近くの道路、少し遠く行って公園・運動施設が考えられます。
①家
②道路
③公園・運動施設
遊びのタイプで見ると、②道路で遊ぶ場合は運動を伴う遊びが多いので、ゲームするといった非運動系がメインの①家は競合となりません。ですので、③公園・運動施設の量と質に問題があったというのが②道路を遊び場とする原因かと思います。
つまり
①家 →非運動系の遊び →道路での遊びが多い原因としては消去
②道路 →運動系の遊び
③公園・運動施設 →運動系の遊び
仮説① 日本には公園・運動施設が少なかった―供給量の問題
確かに子供が運動できるような公園が、少なくとも私の住んでいた町には少なかったような気もします。
そのため簡単なボール遊びは、車がほとんど来ることがない道路でしていましたが、場所があり、ゴールポストなどがそろっている小学校にいって遊ぶこともときにはありました。
学校以外には運動する施設が少ないのは私の経験だけではなく、下の統計でも明らかになっています。国際比較だと、日本は飛びぬけて公園*が少ないですね。
*下の統計で出てくる「公園」は、国立公園や自然公園を除く、都市公園という意味で使われています。
昔から外国人が東京を「コンクリートジャングル」と呼んだのも、都市公園の少なさに関係してくると思います。*
*「コンクリートジャングル」という言葉には、もちろん並木や路地の植物が少ないといったことも含まれています。
仮説② 日本の公園・運動施設は対象年齢が限定されていた―遊具の質の問題
家の近くにあった公園は、 すべて小学生低学年以下を対象とするようなもので、遊びの種類の可能性も制限されていました。そこでは砂場があり、滑り台があり、といった感じです。
高学年以降が好きなバスケやサッカーや他のボール遊びができる設備は小学校にしかなかったので、小学校に行って遊ぶこともありましたが、いつごろからか不審者による侵入事件があって、それもできなくなりました。
1990年代後半になってようやく、交遊圏内に、野球などがある程度自由にできる公園ができした。
そのために道路で遊ぶことになっていたのではないかと思います。
1990年代の日本を思い出させる、難民の子供の遊び方
難民の子供が遊んでいるのを見て、日本の公園事情まで考えを至らせてきました。
自分の子供時代を思い出しながら、どちらかというとドイツの子供の遊び方よりも、難民の子供が道路で遊んでいる元気な姿のほうに共感を覚えてしまいました。
難民の出身国でも、公園や運動施設が整っていないのでしょう。(推測)日本の事情から推測しているだけですが、この理由から、子供たちも道路で遊びまわるのを普通と思って、道路で遊んでいたのではないでしょうか。
しかし多くの移民の子供がそうであったように難民の子供たちもいずれは、ドイツ人の子供が違う遊び方をしているのに気付いて適応していくでしょう。
*日本の思い出話の箇所は、地域差や時代差があるのであくまで一例としてみてください。
**おおざっぱな議論だということは承知していますが、考えのきっかけとして日本の話を取り出しました。