さて、私はドイツに住んでいます。
海外に住んでいますが、日本メーカーがヨーロッパで頑張っている姿を見て、応援という意味で、日本ブランドのものを買ってきました。
特に、家電製品は、日本ブランドのものは、家電量販店に行っても、影をひそめてしまっています。テレビやスマホの売り場の大半は、アップルかサムソンで占められています。
かろうじて存在しているのが、ソニーです。それ以外の日本メーカーのプレゼンスはゼロといってもいいでしょう。
そのため、ソニー製品はひいきにしていました。スマホも例外ではなく、ソニー製ですが、まさか、このスマホをめぐって騙されるようなことになるとは思いも寄りませんでした。
すべての始まり
事の起こりは、2年ほど前に購入したソニーのスマホの動作がおかしくなったことでした。
もともとカメラがぼやけたりしていたのですが、それに加えて、ディスプレイの上と下の、スタータスバー・コントロールパネルと呼ばれる部分が反応しなくなりました。
まだ保証期間内(購入から2年間)だったので、購入した大手家電量販店(以下M社)で修理に出しました。
その時に言われたことは、
ということでした。
修理は2週間のはず・・・
しかし、その2週間が過ぎたところでM社から全く連絡が来ないので、M社にこちらから電話すると、
と言われました。
しかし実際に連絡が来たのは、3日後で、ソニーからの以下の伝言でした。
ということでした。
古いモデルですし、修理パーツがつねに在庫にあるわけではないことも理解できるので、
という心境でした。
いつ修理が終わるのかは未定
そして、修理に出してから4週間過ぎたあたりで、何も連絡がないので、M社に連絡すると、
とのことでした。
しかし家電量販店からはその後も連絡がなく、4回ほど催促電話を掛け、「折り返し連絡する」という空約束に対する怒りを呑み込み、ようやくわかったことは、
という、つっけんどんなソニーの鬼回答が来ていたことでした。
修理に出してから5週間目の回答が、「修理がいつできるかわからない」という舐めたものとは、流石に予想もしていませんでした。
部品が来るか未定という情報など、2週間目あたりでわからないのでしょうか?さすがに5週間もの間、借り物の携帯での生活は限界に達していました。
アドレス帳は最低限のものだけを入れ、アプリはネットサーフィン用のものしか入れていません。修理期間の間だけ貸与してもらっているスマホには、情報管理の観点から、いつも使っているアプリや情報を入れておりませんでした。
そのため、そんなに時間がかかるのであれば、、
という苛立ちに満ちた希望をM社に話すと、M社は、
ところが、家電量販店がソニーに連絡しようとも、
とのことで、何も進展がありません。
ソニーのふてぶてしい態度
そして、毎日家電量販店と、
というような不毛なやり取りを1~2週間繰り返していると、ちょうど6週間目にあたるときに、ソニーから連絡がありました。
という連絡があったそうです。
正直、もう怒り心頭です。6週間もの間、いつ修理が終わるとも教えられず待たされ、揚げ句の果てに、詫びの一言もありません。
はっきり言って、修理されて返ってきたスマホをソニーの担当者の目の前で床にたたきつけて、怒りを見せつけたい気分です。
悪かったのはソニーなのか?
こうした怒りから、直接ソニーのサポートセンターに電話することにしました。
すると
という、意外な答えでした
M社は電話対応で常に、ソニー側に責任があるかのような言動で動いていましたし、私も製造メーカーが対応してくれるものと思っていました。
実際調べてみると、確かに2年間の動作保証というのは販売店に責任があり、「適切な」期間(通常は2~3週間)以内に修理ができなければ販売店が
- 別のスマホを提供するなり
- 返金するなり
といった責任が生じるということがわかりました。*1
ということは、家電量販店が責任逃れのために、ソニーをダシにつかっていたということです。
まんまと騙されました。
家電量販店に実際に行くことにした
さて、修理されたスマホが返ってきたので、家電量販店に取りに行くついでに、直接、責任の所在について問いただすことにしました。
の一点張りでした。
これ以上話しても平行線でしかなく、実際に弁護士を連れてくるほどの重大事でもないので、修理されたスマホを手に、その家電量販店を後にしました。
結局、「騙された」という後味の悪い気持ちだけが残りました。
実際に、量販店が責任逃れのために、責任を製造メーカーに擦り付けることはよくあるそうです*2。
という、一般消費者の弱みに付け込む販売店側の打算が見え隠れしています。間違った情報を平気に消費者に伝える大手家電量販店からは、当分足が遠のきそうです。
家電量販店に限らず、お店の言うことを真に受けると騙されるという、人間不信になりそうなドイツでの日常生活の1コマでした。