海外留学する上で、入学許可を得たり、現地の生活に適応したりと様々な障害がありますが、そのような障害の中でも、大学での勉強や現地の学生とのコミュニケーションがやはり気になる人が多いのではないでしょうか。
そうした学業にまつわる困難という点から見ると、文系学科を専攻している人の方が理系学生よりも大変な留学生活を送ることになります。それは、学問内容の根本的な2つの違いに深く関係しています。
*当記事では、「文系のほうが理系よりも学問として難しい、だから文系のほうが偉い」ということを言いたいのではなく、日本で勉強する場合と海外で勉強する場合を比較しています
**当記事では、「文系」という場合には人文科学と社会科学を、「理系」といった場合には自然科学を指します
違い①:理解の道具
まず、学業で重要となる作業は何でしょうか?それは
- インプット(読む)
- アウトプット(書く・発表する)
ことです。
その際に、理系と文系では留学の際に大きな違いが生じてきます。その違いとは、インプットやアウトプットを行う手段にあります。
理系:言語を補助する記号・式の存在
理系では、言語を補助するものとして、
- 数字
- 記号
- 式
が使えます。
つまり、言語を使うことなしに、理解したり情報伝達ができることもありうるということです。もちろん、言葉を理解することは大切なことですが、現地語が出来なくても、言語以外の部分で理解できる場合があるということです。
例えば、板書されている数式を見ただけで意味がわかるならば、教授の話しが部分的にしかわからなかったとしても、授業の意味内容がある程度追えます。
文系:言語が全て
しかし文系の場合*1、論文を読むにしても講義を理解するにしても、言葉がわからなければ何もわかりません。先ほどの数式の例とは違い、言葉がわからなければ、それ以外の理解の仕方はありません。
それはアウトプットの場合も同じです。
レポートを書くにしても、言葉ですべてを表現します。
例えば歴史学において、「歴史を書くことは小説を書くことに近い」という考え方もあるように、その言語をどれほど使いこなせるかはアウトプットにおいて大変重要な位置を占めています。論文でも、確かに図表も登場しますが、そこに書かれている文字情報がすべてです。
つまり、インプットにおいてもアウトプットにおいても、言葉への依存度が文系と理系で違っているということです。
英語という「中立」的な言葉に頼れるか否か
そうした表現方法の違いに加えて、英語への依存度も違います。
理系(と社会科学)では、大学で英語によるプログラムもあり、インプットにおいても英語で論文が読むことが多いでしょう。つまり、もし英語圏以外の国に留学する場合でも、理系(や社会科学)では、現地語が出来なかったとしても問題ないことがあるということです。
加えて、大学で英語をメインに使う場合、現地での大学生活は劇的に楽になります。
というのも、同僚や同級生との会話は英語となり、お互いにとって外国語でコミュニケーションを図るからです。相手の土俵(現地語)で戦うのではなく、お互いにとって中立的な土俵(英語)で戦うということです。
お互いにとって外国語で会話するのであれば、相手が間違うこともありますし、知らない言葉もあります。そのため、自分が間違った英語を話しても何ら恥じる必要はありません。それは、インプット、アウトプットを通して、言語能力という点で現地人と対等な立場に立つということです。
それに比べて、現地語でやりとりすることになる人文科学の場合、始めから相手の土俵で戦うことになります。
使う言葉に不慣れな上、相手は母語なので、スタートの時点ですでに差が出てしまうということです。同等の業績を出すには、現地人よりも努力する必要があります。
違い②:学問対象と文化・言語との関係
文系と理系の次なる差異は、学問の対象です。
理系:自分の文化・言語的背景と関係なし
理系の学問対象は、自分の文化・言語的背景からは中立のもの*2です。つまり、学問の対象は、日本で育ち、日本語が母語であろうと、別の国で育とうと関係のない、自然現象です。
例えば宇宙物理学の対象である宇宙への理解は、日本人であろうともアメリカ人であろうとも、変わりません。それは人間の肉体を学問対象とする医学も同じです。
そのため、自然現象を学問対象とする限り、自分の文化・言語的バックグラウンドは有利にも不利にもなりません。
文系:自分の文化・言語的背景が重要
それに対して文系、とりわけ人文科学の場合、学問対象は文化・言語と密接にかかわるため、自分がどのような文化・言語的バックグラウンドを持っているかで、勉強が簡単であったり、難しくなったりします。
留学する場合は、「その国について勉強したいから留学する」と想定すると、その現地の国の
- 文化
- 文学
- 歴史
- 社会
- 政治
といったことを勉強することになります。
しかし、現地のことは、現地で育った人間のほうがその国のことをより詳しく知っていることは当然です。
例えば、ドイツ史について例を挙げてみると、ドイツ史を勉強しているドイツ人の知識は、遠い国から来て、部分的なドイツ知識しかない日本人に比べると、圧倒的な差があります。ドイツ人は、
- 身近な人の体験談
- 学校教育
- マス・メディア(テレビ、ラジオ)
- 社会見学(旅行)
を通して、無意識のうちにも膨大なドイツ史に関する情報にされされて育ってきています。
私はこのことを、
- 歴史ネイティブ:子どものときからドイツ史に囲まれて育った人間
- 学習者:大人になってからドイツ史を学習し、頭でしか理解していない人間
の差と考えています。
そうした知識量の圧倒的な差を埋めるためには、私の体験上、文字通り2倍の努力、具体的には2倍の学習時間を費やす必要があります。現地人であろうと日本人であろうと同じ24時間しかないわけですから、睡眠、食事、社交の時間を削るしかありません。
他の人よりも2倍努力するということは、実際にやってみると大変な作業です。
まとめ
以上見てきたように、文系、とくに人文科学の場合、海外で勉強することは理系よりも大変になります。
つまり以下の点で文系の場合、言語・文化への依存度が高いということです。
- インプット・アウトプットにおける情報伝達のあり方
- 研究対象の理解のあり方
冒頭にも述べましたが、ここでは、理系と文系のどちらが学問として難しいかということを言いたいのではなく、留学した場合に、どちらのほうが苦労するのかということを述べています。そして、個人の能力や資質によっても、現地人とのやり取りが大変なものになるか否かが変わってくるのは当然のことです。
ただ、文系の場合、「難しいから留学しない」と考えるよりも、「難しいからこそやりがいがある」とポジティブに考えることをおススメします。簡単であれば、得るものも少なく、難しいからこそそれに直面したときにより成長できるといえます。
実際に私が留学したときの体験談については下の記事でまとめておりますので、併せてご覧下さい。
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