元コンサルタントな歴史家―ドイツから見た日本

ドイツの大学で歴史を研究する伊藤智央のブログ。ドイツと日本に関する批判的な評論を中心に海外生活(留学や移住)の実態をお伝えしています。その際には元戦略コンサルタントとしての経験も踏まえてわかり易くお伝えできればと思います

【大学を中退したい人へのアドバイス】私が東大を辞めなかった理由

私は大学に入った当初、大学を中退する衝動に駆られたことがあります。

当たり前ですが、周りは猛反対です。「せっかく、東大に入ったのに、頭おかしいんじゃないのか」というようなことはよく聞きました。しかし、結局、東大にもいい面を見つけることが出来、徐々に自分が選んだ大学というものを受け入れて生きていけるようになりました。

そこで、なぜ私が大学を辞めたかったのか、なぜ私が大学を辞めなかったのか、そして半分自己肯定的ですが今から考えて、大学を中退しない方がいいと考える理由を述べたいと思います。

安田講堂

東大なんか辞めてやる

中退への衝動を感じたのは、第1学期が始まった初週から最初の1か月が終わるあたりだったと思います。

きっかけは法学自体の「退屈さ」と目指すべき職業像が崩壊したことでした。*1

授業が面白くない

ちなみに私は法学部*2入学でしたので、新入生用の法学入門の授業を取る必要がありました。

しかし、その授業がつまらなさすぎでした。

まず教授が何を言っているのかわからない。要点が全くつかめない話し方で、ぐるぐる同じ話しをしているようにしか思えませんでした。「本当に、学生用にかみ砕いてしゃべってるの?」と思うほど、私にとっては悪印象でした。

法学部目指してたんだったら、大学に入る前に法学関連の本を高校時代に読んどけよ、という話なのですが、私にとってその授業が初めて法学と接する機会でした。

初対面で悪印象なのですから、もう救いようがありません。

こんなの後4年間も勉強しないといけないのかと思うと、やる気が全く失せました。

やりたいことがわからなくなった

官僚になりたくて、官僚になるには東大が一番向いているという単純な発想から東大を目指していました。

しかし入学してから、実際の官僚の人の話しを聞く機会があり、その方の話しを聞いていると、「自分がやりたいこととは違う」という印象を受けました。

1番衝撃的だったのは、「子どもの顔は寝顔しかみない」という言葉でした。平日は、夜遅くまで、休日も家にいないことが多いという話でした。「滅私奉公」の中で「滅私」という言葉の意味が具体的に目の前に叩きつけられた感じを受けました。

自分の私生活を殺してまで「奉公」したくないと思ったことで、もともと抱いていたナイーブな夢が壊れました。

今から考えると、このような労働スタイルは官僚だけに限らないのですが、18歳の若者には衝撃的でした。

今度は京大を受験しよう

「何をしたくないのか」がとりあえず明確になりました。すると、「じゃあ自分は何をしたいのか?」という問いにぶつかりました。目指すものが見つからないまま、ただ面白くないからといって大学を辞めるほど世間知らずではありません。

とりあえず、何か「真理」なるものを追究してみたいという、(これまたナイーブな)考えから理系、それも物理学関係をやってみたいと思いました。加えて、理系で自由に研究するにはやっぱり京大だろうという、単なるイメージから京大を受験しようと考えました。

こう振り返ると、単なるイメージ/思い込みだけで人生決めてしまっています。

で、さっそくジュンク堂に行き、数万円分受験参考書を買いあさりました。東大に在籍したまま京大を受けることができるのか調べたり、再受験、やる気満々でした。

本郷の銀杏並木

でも東大を辞めなかった理由

ジュンク堂からの帰りに、大学の友達の家に寄ったとき、彼らの顔を見てふとひらめきました。

「こいつらと大学生活を一緒に過ごすのも悪くないな」と。「悪くない」というよりも、こうした学びの環境こそが幸せであって、それに気づかされましたという感じでした。

もしかしたら私は、日本の大学で勉強する意義をその時直感的に見抜いたのかもしれません。

今でも思いますが、文系の学部での勉強などはっきり言ってなんの役にも立ちません。私は学部時代も、バイトもせず、遊びまわることもせず、常に本を読んだり、勉強していました。

それでも結局身に付いたことと言えば、視野が広がったということぐらいです。それはいろんな人と出会って話を聞いたり、大量の本を自分の関心のおもむくままに読んだりすることで得られたものでした。大学の授業で得られたものよりも、大学の授業以外で得られたもののほうが大きかったと感じています。

話しを元に戻すと、そのような授業外の要素の1つが友達だったのだと思います。いろんなことを朝まで議論したりしました。政治や外交といったテーマを幼稚な論理で話していたことを覚えています。しかし、真剣でした。必死で、何か新しい視点はないのかと探したりしていました。

こうした体験を支えてくれた友達の存在が、大学を辞めなかった1番の理由だったと今では思っています。

今から考える中退反対論

学部を卒業してからもう長い年月がたちますが、今では、上に挙げた理由とは違う理由から、大学中退はキャリア上よくない選択肢と考えています。

中退をする必然性がない

まず、大学を中退しなければならないほどの理由は、経済的理由を除けばほとんどないと思います。

もし別のことに関心があるのであれば、大学にいながらそれは出来ないのかを考えることをおススメします。(文系の場合)時間など作ろうと思えば、努力次第でいくらでも作ることができますし、場合によっては、睡眠時間を削ってでも出来るでしょう。

起業する場合のように、大学での勉学のために時間が全くとれないほど忙しいというのであれば、休学という手段があるでしょう。

大学と平行して好きなことをする、それでもだめなら休学する、という手段を検討した後に、「大学に在籍したままでは、したいことがどうしても出来ない」と考えるのであれば、本当に最後の手段として中退という選択肢が浮かび上がってきます。

辞めることのリスク

なぜそれほど、大学中退というものを避けたほうがいいのかというと、中退に伴うリスクが大きいからです。

「大学を中退」ということは高卒と同じです。いくら東大であろうが京大であろうが大学を中退してしまえば、最終学歴は高卒です。

そしてその最終学歴の違いによって、資格試験や公務員試験での待遇が変わってきます。そもそも高卒では受けられない資格・就職試験もあります。つまり、社会的に活躍するルートのうちいくつかが、あなたの実際の能力とは関係なく自動的に閉じてしまうということです。

いくら中身が重要とはいえ、受験資格の段階で蹴られてしまえば、キャリア戦略上不利でしょう。

プランBの重要性

例えば起業したくて中退を考えている場合、会社での就職は考えていないので、高卒でも大卒でも会社経営者としては関係ないかもしれません。

しかし、もし起業がうまくいかなかったらどうしますか?起業の他に興味のある分野が出てきたときはどうしますか?

つまりここで私が言いたいことは、やりたいことが変わったり、長い人生の中では不本意ながら別をことをしなければならないことがあるかもしれないということです。

私がこれまでの短い人生の中で学んだことは、プランBを必ず持っておくということです。特に若いときは、さまざまな可能性が見えていないことが多く、本命がダメな場合や、「本命」が実は「本命」ではなく本当にしたいことが別のことであった場合が出てきやすいです。

そのため、代替案を考えておくことは大切です。*3

まとめ

大学を辞めることは、賢い選択ではありません。出来る限り辞めずに、やりたいことが出来るのかということを探ってみましょう。

それでもどうしてもという場合に限って大学を辞めることをおススメします。

中退するのにそれだけチェックリストを課すというのは、中退に伴うリスクが大きいからです。世の中には変えられる要素と変えられない要素があるとすれば、学歴の重要性は変えられない/変えることが難しい要素に含まれます。

現実を学歴社会だと非難しようと現実は変わりません。

そのことを踏まえると、学歴の重要性を一旦受け入れて行動することがキャリア戦略上賢い選択といえるでしょう。

繰り返しになりますが、たった4年ほどなので、なるべく大学は辞めずにうまく折り合いをつけることを勧めます。

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東大について

*1:以下、退屈だとか法学に対して散々言っていますが、言葉遣いはその当時の素直な感想に沿って、そのままにしています

*2:専門学部への振り分けは3年生からで、当初は文科1類で入学しました。このシステムはわかりにくいので、以下では法学部と表記します

*3:これは、若いころにプロ野球選手を目指していたアメリカ人の同僚(50歳代)も言っていたことです。彼は経営学を大学で勉強していたおかげでプロ野球選手になれなくても食いっぱぐることなく、ビジネスでも成功しています