サラリーマンや士業*・自営業者のような踏み慣らされた道をたどる人生に対して、逆説的に「レールを外れて生きよ」というようなアドバイスがなされることがあります。具体的にはそれは起業やノマド・フリーランサーという道であったりします。
*弁護士、税理士というような「~士」の資格を必要とする職業
日常の仕事に追われて自由がないと感じている人や、平凡な生活は嫌だと考えている就職前の人にとっては、「自由に生きる」という言葉は魅力的に聞こえるかもしれません。
しかし、「レールから外れて人生を生きよ」という、一部の人にとってもっともらしく聞こえるアドバイスは、果たして「レールの上に留まる人生」よりもいいものなのでしょうか?
ここでは、「レールを外れる」ことのリスクとそれが見落とされる原因を突き止めることで、「レールを外れる」ことが真に意味していることを明らかにできればと思います。このことを考えずにアドバイスすることは、夢ならぬ悪夢の道を勧めることにもなります。
レールを外れて生きるとは
そもそも人生のレールを外れるとはどういうことなのでしょうか?
レールを外れるとは、多くの人がとっている選択肢とは別の選択肢を取るということです。例えば、
- 雇われ人というステータスから脱却してフリーランサーになる
- 新卒チケットを捨てて海外に放浪の旅に出る
- バイトをしながら芸能人・モデルを目指す
- 起業する
ということです。
レールを外れると、「本当にこれでよかったのか」という、群れからはぐれた不安感に襲われる人もいるでしょう。そうした不安感は、夢が叶う可能性がたいていは低いことから来ています。
レールから外れるリスク
①市場からの退出リスク
レールを外れる不安は根拠がないわけではないのです。実際、その選択をした結果うまく行かないことが多いのは確かです。
例えば起業した人を見てみても、起業者の生存率は10年後には約7割、20年後には約5割しかありません。
参照:中小企業庁発行 中小企業白書 2011 p. 187
フリーランサーの個人事業主にしろ、芸能人・モデルにせよ、競争・淘汰の厳しさは起業した場合とそれほど変わらないか、場合によってはより厳しいことは、誰にでも推測がつきます。
*但し、配偶者からの経済的支援があったり、貧乏に耐えながら生活する人もいるため、市場からの退出を選ばずに市場に残り続ける人もいるでしょう
つまり市場で生き残り、こちらに好都合な条件で仕事が舞い込んでくるようになれば成功と言えますが、そうした人は一握りしかいないということです。
②不利な労働条件の下で下請けを担うリスク
市場での勝ち組以外は、市場から退出するか、仕事の請負先との力関係によって自分に不利な条件のまま下請け仕事を続けるかのどちらかです。
独立して仕事をするとは誰かから仕事の依頼を受けるということです。しかし、
- 競合が多く
- 独自性が顧客から認められない
場合、「この納期と価格で文句あるんなら、あんたじゃなくてもなくてもいいよ。この条件で受ける人なら他にいるから」という言葉とともに不利な労働条件で仕事を受けざるをえません。これが市場原理です。
「この仕事は~さんしかできないから、どうしてもお願いします」と顧客から頼まれたり、自分のほうから「そんな条件ならやらないよ。私が引き受けなかったら困るのはお宅ですよ」と顧客に(暗に)強く迫れるのは、市場で強みを発揮できる一部の勝者だけです。
補足:ノマド・フリーランサーのリスク
例えば、雇われ人という生活スタイルが嫌で、自由に仕事の内容・時間・場所を選べるノマド・フリーランサーになったとしても、最初の10年ほどは楽しく感じられるかもしれません。収入が低く、不安定であっても、いろんな国に旅行にいく時間があったりと自由に時間が使えることで「豊かさ」を感じるかもしれません。人と違うことをしているという優越感もあるかもしれません。
しかし多くのノマド・フリーランサーが主な仕事内容としているジャーナリズムや翻訳業という仕事は、つぶしが効かない仕事です。10年間フリーで働いていてもその経歴では企業において安定した定職を見つけることはそう簡単ではないでしょう。一度フリーランサーになると、永遠にフリーランサーから抜け出せないという可能性があるということです。
これらの経済的な不安定さとキャリア転換の難しさを踏まえて、ノマド・フリーランサーを考えている方に投げかけたい問いは以下の2つです。
- 収入が不安定かつ低い生活を60歳、70歳まで続けられますか?
- 遊牧民的に居住地を頻繁に変える生活を、家族や子どもが出来た後も続けられますか?
ノマド・フリーランサーとして仕事をすることは、たいていの人にとって比較的自由がある20代という時期に限られた労働形態でしょう。
リスクが見えない理由:差異と強みの混同
リスクが見落とされやすいのはなぜか?
これらのリスクが存在しているにもかかわらず、
- なぜ「レールを外れた人生」を勧めるような言説が生まれてくるのでしょうか?
- そしてなぜ、それに魅力を感じる人が一定数いるのでしょうか?
結論を先取りすると、レールを外れることに伴うリスクがしばしば見落とされることが原因です。
つまり、差異と強みを混同しているために「レールを外れること」=「強み」と勘違いしてしまい市場でうまくやっていけそうな錯覚に陥ってしまうことが原因と考えられます。
レールを外れるとは、人と違うことをすることを意味しているだけにすぎません。レールを外れた後に成功するためには、人との違いが競争上の強みへと変換される必要があります。
数式の形で表してみると、「レールを外れること」=「差異の創出」≠「強みの創出」ということです。
人と違うことをするだけなら誰でも出来る
人との違いは強みの素となることですが、そのままでは強みではありません。
人と違うことをするのであれば、路上に座ってビール飲みながら何年も人間観察したり、部屋に引きこもって綾取りばかりしていてもいいわけです。違うことをするのは簡単です。
しかし、その違いを強みへと変換できなければ市場価値がゼロです。市場価値がゼロであれば、人と違う経歴や技能だけで仕事が舞い込んでくることもないでしょう。
人との差異が競合に対する相対的な強みへと変換されない場合、それは単なる自己満足で終わってしまう可能性があります。
視点を切り替えることで、人との違いを強みへと変換する
差異を強みへと変換する作業が、成功するための肝です。
この作業は、「人と違うこと」を仕事相手に「価値あるもの」として認めてもらうにはどうすればよいのか、を考えることです。そのためには、自分がもっていて競合がもっていないもの(=差異)が何であるのか客観的に捉え、それを使って相手の潜在的需要をどうやって満たすことができるのかを考えることが必要となります。
しかし、これが出来る人は限られています。何故この変換作業は難しいのか?
それは自分視点ではなく、他者の視点からも物事を見る必要があるからです。相手にとって価値のあるものだけが「強み」であり、そのため相手の視点で自分の差異を捉えることで初めて「強み」となりうるものが見えてきます。
当たり前のようですが、多くの人は無意識のうちに自分、自社、自業界の視点から物事を捉えてしまっています。そのために、視点を切り換えるには日ごろからの意識的な訓練が必要なのです。
「強み」に変換されて初めて生かされる「差異」
「自分のユニークな能力」と「相手の需要」をマッチさせることができたときに初めて、経済的にも社会的にもある程度成功するのではないでしょうか。
それによって、自分視点でしかない単なる自己満足な人生ではなく、自分の特徴を生かして社会で活躍できる人生と言えます。
レールから外れて生きよ?
レールから外れることの「リスク」と「成功の難しさ」を考えてきましたが、それを踏まえると、レールから外れる人生を説くのは果たして賢明なのか疑問に思えてきます。
レールを外れることは、ハイリスク・ハイリターン
当たり前のことですが、人生においてレールを外れるか否かという決断をする時点では、まだ人と違ったことをしているわけではありません。つまり、まだ挑戦の第一歩を踏み出していない時点で、未来の成功・失敗を予測して決断を下さなければなりません。
レールを外れることを決定することは、将来の不確実性に加えてリスクの高さが加わるため人生の重大な決定と言えます。
そのため、差異を強みへと変換できると確信がもてる相手に対してのみ、「勇気をもってレールを外れよ」と言えるのではないでしょうか。別の言い方をすると、不特定多数の人にこの言葉を贈ることは無責任そのものであると言えます。
レールを外れるという選択肢はハイリスク・ハイリターンであるがゆえに、相手の特徴を熟知している場合にのみ勧めることができるものです。
レールの上に留まることは、ローリスク・ローリターン
一方で確かに、レールの上にとどまる人生にもリスクはあります。
どんな企業であっても倒産の危険はありますし、どのような職業や業界も何十年後かに消えてしまう可能性があるからです。「多くの人がやっている」=「客観的にも安全」というわけではありません。
しかし、この選択肢を取った場合のリスクはレールを外れる場合のそれと比べて低いと言えます。
リスクはリスクでも、ある業界が消滅する可能性と、ある一人の人間が芸能人になれない可能性はどちらが大きいでしょうか。もちろん後者です。
他方で、多くの人が歩む道というのは、自己実現の点でも経済的な成功の点でも限界があります。サラリーマン社長の生涯収入と成功した企業家の資産を比べてみると一目瞭然です。つまり、レール上の人生は成功したとしても低いリターンしかもたらさない傾向にあります。
結局、レールの上に留まるということはローリスク・ローリターンの選択肢といえるでしょう。
多くの新卒就活生はこうしたローリスクという魅力を無意識的にもかぎつけて行動しているように見えます。レミングスが集団催眠にかかったように彼ら・彼女らが一斉に就職活動をしているのは、それなりの合理性を秘めているのです。
「レールを外れよ」という助言が成り立つ前提
レールを外れることに伴うリスクを軽減できる自信、言い換えると、人と違うことが単なる違いに終わらずに、社会の需要を満たすために利用できるという自信があるときに限って、「レールを外れる」ほうが「レールの上にとどまる」ことよりもよい選択肢となります。
つまり、社会での成功と自己実現の観点から見るならば、以下のような関係になるのではないでしょうか。
「レールを外れて生きる」ということが一概に「レールの上に留まる人生」よりもいいというわけではありません。
真摯なアドバイスとは?
レールを外れた人生にはその結末において2つの種類
- 社会で活躍する
- 単なる自己満足で終わる
があります。そのため、レールを外れた人生がもたらす2つのシナリオを考慮しないアドバイスは無責任と言えます。
アドバイス相手を知っている場合
アドバイス相手をよく知っている場合には、「レールから外れる」ことに伴うリスクが最小限に抑えられると考えられるときにのみこうしたアドバイスはすべきです。
いくら自分の体験に基づいていたとしても、相手の状況を考えないアドバイスは、相手のことを親身に考えているとは言えないでしょう。
アドバイス相手を知らない場合
アドバイスを不特定多数に向けて発信する場合、レールを外れることによるリスクとチャンスを平等に紹介することが真摯な態度と言えます。
ここでは考える材料を与えるという立場から、出来るだけ多面的な情報が必要です。その情報には、成功した事例だけでなく、失敗した事例、それぞれ成功・失敗した原因の分析も含まれます。
*レールを外れて(自称)成功している人の話しは5割ぐらい差し引いて聞いたほうがいいでしょう。人間だれしも、「自分の決定は間違っていなかった」という自己正当化の傾向をいくらかでも持っており、レールを外れることに付随するマイナス面を語ってくれないことも多いからです。失敗例やマイナス面を想像でもいいので語れる人は貴重です
アドバイスの重み
アドバイスする者自身が「人生のレール」というものの功罪を客観的に認識して「レールを外れよ」という言葉の重みを自覚すること。それがアドバイス相手である聞き手・読み手に対する誠実な態度ではないでしょうか。